茉莉花の事務所に戻ると、静かだった。
リビングに入ると、もうすっかりと事務所としての雰囲気になっていた。
二十畳以上あるリビングの右側には、大きなテレビと黒いソファー、テーブル。
左側にはベージュのゆったりとしたソファーにローテーブル、本棚や雑誌ラックが置かれている。
私はその空間をひと通り見渡した。
そのとき、携帯が鳴った。
画面を見ると、水商売をしていた頃の先輩からだった。
「もしもし」
「おう直人か、お疲れ。
お前がやってる店、月下美人だったよな?」
「はい、そうですよ」
先輩の話によると、業界が届出制になる流れの中で、廃業する年配の経営者も出てきているらしい。
その店を回していた女性スタッフが、今、仕事を探しているという。
後輩が月下美人という店をやっていると話したところ、スタッフを募集していないか聞いてほしい、と言われたそうだ。
私はその女性の電話番号を聞き、通話を切った。
キッチンカウンターに腰を下ろし、渡された番号をメモに書き写す。
そのとき、二階からパタパタと階段を降りてくる足音がした。
ドアが開き、早苗が顔を出す。
「あっ、帰ってたの。おかえり!
話し声が聞こえたから、誰かと思った」
「ああ、起きてたのか?」
「うん、パソコンのセッティングしてたの。
ねぇ、コーヒー飲むでしょ?」
早苗はそう言うと、キッチンに向かい、手際よく準備を始めた。
「本当に事務所らしくなったよな」
カウンター越しに声をかける。
「でしょう? リサイクルショップとか家具のアウトレット回って揃えたんだよ。
新品で買うより、かなり安く済んだんだから」
早苗は得意げに笑った。
コポコポと湯の音がして、コーヒーの香りが広がっていく。
やがてカップがカウンターに置かれ、早苗はキッチンを回って隣に腰を下ろした。
わずかに肩が触れる。
私は先ほどの電話のことを話した。
「店を回してたスタッフなら、即戦力じゃない?」
「うん。月下美人で、って話だったけど、花水木の方で迎えようかと思ってる」
メモを差し出す。
「これが番号だ。
連絡して、話を聞いてきてくれないか」
「分かった。昼過ぎに連絡してみるね」
そう言って、早苗は時計に目をやった。
少ししてから、ふっと表情を緩める。
「ねぇ、久しぶりに“いつもの”作ったげようか?」
「ああ、久しぶりだな」
「すぐ作るから、待っててね!」
早苗は鼻歌まじりにキッチンへ向かった。
しばらくすると、ケチャップの焦げたいい匂いが漂ってくる。
そのとき、ドアが勢いよく開いた。
「早苗ー! お腹減った、私も食べる!」
里奈ちゃんがそう言いながら入ってきて、鼻をくんくんさせる。
「もう、里奈ったらハイエナみたい」
早苗が笑うと、里奈ちゃんもつられて笑った。

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