138話「消えない光」

夜は、思っていたより静かだった。

部屋の明かりを少し落とすと、昼間とはまるで違う空間に感じられる。

ソファに座りながら、何気なく窓の外に目をやる。

暗くなった公園は、輪郭だけを残して静かに広がっていた。

その中に、ひとつだけ浮かぶ光があった。

「……あれ」

思わず声が漏れる。

公園の中央に、大きなクリスマスツリーが立っていた。

色とりどりの灯りが、ゆっくりと点滅している。

昼間には、確かになかったはずの景色だった。

ベランダに出ると、冷たい空気が肌に触れた。

少し遅れて、美緒も外に出てくる。

「どうしたんですか?」

「ほら、あそこ」

指をさすと、美緒は目を細めてその先を見る。

「あ……」

小さく声を漏らした。

「全然気づかなかったですね」

「昼は点いてなかったんだろうな」

そう言いながら、二人がけの椅子に腰を下ろす。

自然と、美緒は隣に座る。

触れてはいないが、わずかな距離しかなかった。

何も言わずに、しばらくツリーを眺める。

光がゆっくりと点滅するたびに、横顔がやわらかく照らされる。

ふと、肩が触れた。

ほんのわずかに。

どちらからともなく、少しだけ体勢を整える。

けれど、離れることはなかった。

そのままの距離で、また静けさが戻る。

隣にある手が、わずかに動く。

迷うような仕草のあと、指先がそっと触れてきた。

触れて、止まる。

その手を、軽く包む。

美緒の指が、少しだけ強く握り返した。

その感触に、意識が引き寄せられる。

距離が、さっきよりも近くなる。

隣にいるはずなのに、妙に近く感じた。

目が合う。

逃げるほどの距離ではない。

でも、そのまま見ているには、少しだけ近すぎる距離。

ほんのわずかに、顔が近づく。

冷たい空気の中で、互いの息だけがわずかに温かかった。

触れるかどうかの距離で、止まる。

美緒が小さく息を飲む。

視線が揺れる。

それでも、離れようとはしなかった。

そのまま、少しだけ顔を伏せる。

触れそうだった距離が、わずかにずれる。

手だけは、そのままだった。

「……こういうの、いいですね」

かすかに震える声だった。

「こういうの?」

「ただ、こうしてるだけの時間」

ツリーに視線を戻しながら言う。

「なんか、落ち着きます」

その言葉のあと、少しだけ間が空く。

「慣れてきたか」

静かに言う。

美緒は、ほんの一瞬だけ迷うようにしてから

「……うん」

と答えた。

その声は、今までで一番自然だった。

ツリーの光が、ゆっくりと点滅する。

その明かりが、近すぎる距離と、繋いだ手をやわらかく照らしていた。

指に、少しだけ力がこもる。

それに応えるように、こちらもわずかに握り返す。

それ以上は、何も言わなかった。

言葉にしないまま、その距離に身を置いていた。

「寒いな」

ふと思い出したように言う。

「……はい」

美緒は小さく頷いた。

立ち上がる前に、ほんの一瞬だけ

手が離れるのを惜しむような間があった。

どちらからともなく、先に離した。

「コーヒー、淹れますね」

そう言って、部屋へ戻っていく。

その背中を見送りながら、もう一度ツリーに視線を戻す。

さっきよりも、少しだけ近く感じた。

数日後。

リビングでは、早苗がスーツケースを広げていた。

「ねえ、これも持っていこうかな」

服を手に取りながら、こちらを見る。

「うん、いいんじゃないかな」

ソファに座ったまま返す。

「もう、適当なんだから」

そう言いながらも、どこか楽しそうだった。

「23日からだっけ」

「うん、26日に帰ってくるよ」

スーツケースの中を整えながら、早苗は続ける。

「里奈がね、その日が一番安かったって」

「ああ、里奈ちゃんそう言ってたな」

「でもまあ、たまにはいいでしょ。女二人で旅行も」

そう言って、軽く笑う。

少しだけ間が空く。

「……本当はさ」

手を止めたまま、小さく呟く。

「今年は、一緒に過ごせると思ってたんだけどね」

その言葉は、軽く流せるほど軽くはなかった。

「まあ、仕方ないか」

すぐにいつもの調子に戻して笑う。

「帰ってきたらケーキ食べようね」

「ああ」

短く返す。

早苗は一瞬だけこちらを見て、それからスーツケースを閉じた。

その音が、少しだけ大きく響いた気がした。

その様子を見ながら、何も言わずにいた。

頭の中には、別の光景が浮かんでいた。

夜の公園と、あのツリー。

そして、その隣にいた美緒の横顔。

触れそうで触れなかった距離と、離さなかった手の感触。

淡く、静かに点滅する光が、まだどこかに残っている気がした。

消えるべきものなのかどうかも、分からないまま。

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