137話「慣れていいのか」

段ボールを一つ、部屋の隅に寄せる。

それで最後だった。

一度だけ手を止め、部屋を見渡す。

「これで全部かな」

振り返ると、美緒が小さく頷いた。

「うん、多分」

少し前まで何もなかった空間に、少しずつ物が増えている。

ソファ、ローテーブル、カーテン。

そしてベランダには、小さなテーブルと二人がけの椅子。

どれも派手ではないが、美緒らしい落ち着いた色で揃えられていた。

窓の外は、すっかり冬の空気になっている。

イチョウの葉はほとんど落ちて、並木道は少し寂しく見えた。

「なんか、不思議ですね」

美緒がぽつりと言う。

「何が?」

「ここで生活するっていうのが」

そう言って、小さく笑った。

「まだ、実感なくて」

「そのうち慣れるよ」

そう言うと、美緒は少しだけ視線を落とした。

「……慣れていいのかな」

前にも聞いた言葉だった。

少しだけ間が空く。

「いいだろ」

短く返す。

美緒は私の方を見て、それからふっと笑った。

「そっか」

それ以上は何も言わなかった。

ソファに腰を下ろす。

美緒も少し間を空けて座る。

意識しているのか、ただの癖なのか、その距離はわずかだったが、どこか意味を持っているようにも見えた。

静かな時間が流れる。

カーテン越しの光が、柔らかく部屋を照らしていた。

「あっ、大事なもの忘れてた!」

思い出したように声を上げると、美緒が少し驚く。

「えっ、どうしたんですか?」

「ストーブ買うの忘れてた」

「ストーブ?ありますよ」

美緒はポカンとした顔でこたえる。

「違う、電気じゃなくて石油ストーブだよ。あの、やかんから出る湯気とか、赤いぼんやりした炎がいいんだよ」

少しだけ間を置いて、続ける。

「それから、クリスマスツリーも」

美緒は喋っている私を見てクスッと笑い、

「分かりました。ストーブとツリー、買いに行きましょうね」

と言って立ち上がり、キッチンへ向かった。

程なくして、カウンター越しに聞き慣れたカリカリと豆を挽く音が聞こえてきた。

その様子を、何も言わずに見ていた。

やがて、湯気の立つカップがテーブルに置かれる。

「ありがとう」

受け取りながら言う。

「うん」

美緒は少し照れたように笑った。

一口飲む。

温かさが、ゆっくりと広がっていく。

そのまま、しばらく言葉はなかった。

何もない時間が、どこか心地よかった。

その日の夕方、茉莉花の事務所に帰ると、リビングにはクリスマスツリーが飾り付けてあった。

前に早苗と一緒に選んだツリーだ。

二階から降りて来た早苗が、私に駆け寄ってくる。

「ねえ、聞いてよ!」

少し興奮した様子で言った。

「どうした?」

返しながら、ソファーに腰を下ろす。

「茉莉花が始まる前に里奈と旅行に行くって言ってたでしょ」

「ああ」

「里奈ったら、クリスマスをまたぐ日程で予約入れてるのよ!」

早苗は私の隣に座り、腕を組んだ。

「去年は一緒にクリスマス過ごせなかったから、今年は楽しみにしてたのに」

そう言って頬を膨らませる。

そのタイミングで玄関のドアが開き、

「ただいまー!」

里奈ちゃんの元気な声が聞こえ、リビングのドアが開いた。

「あっ、直人くん帰ってたんだ」

里奈ちゃんは早苗に目を向けて続ける。

「早苗がね、旅行の日程が気に入らないみたいで拗ねてるんだよ」

「だってクリスマスだよ!」

「でも、その日がちょうど空いてたし安かったんだもん。たまには女二人のクリスマスもいいじゃん」

里奈ちゃんはそう言ってケラケラと笑った。

「クリスマスは帰ってきてから、二人ですればいいじゃないか」

なだめるように言う。

「もうキャンセルも出来ないしね……。

それじゃ、帰ってきてから二人でケーキ食べよう!」

早苗は気を取り直して微笑んだ。

「あっ、私も食べるよ!」里奈ちゃんが言う。

「あんたは一人で食べなさい!」

そのやり取りを聞きながら、リビングのクリスマスツリーを眺めていた。

淡く、優しく、静かに点滅している光。

その中に、美緒の顔が浮かんで見えた。

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