段ボールを一つ、部屋の隅に寄せる。
それで最後だった。
一度だけ手を止め、部屋を見渡す。
「これで全部かな」
振り返ると、美緒が小さく頷いた。
「うん、多分」
少し前まで何もなかった空間に、少しずつ物が増えている。
ソファ、ローテーブル、カーテン。
そしてベランダには、小さなテーブルと二人がけの椅子。
どれも派手ではないが、美緒らしい落ち着いた色で揃えられていた。
窓の外は、すっかり冬の空気になっている。
イチョウの葉はほとんど落ちて、並木道は少し寂しく見えた。
「なんか、不思議ですね」
美緒がぽつりと言う。
「何が?」
「ここで生活するっていうのが」
そう言って、小さく笑った。
「まだ、実感なくて」
「そのうち慣れるよ」
そう言うと、美緒は少しだけ視線を落とした。
「……慣れていいのかな」
前にも聞いた言葉だった。
少しだけ間が空く。
「いいだろ」
短く返す。
美緒は私の方を見て、それからふっと笑った。
「そっか」
それ以上は何も言わなかった。
ソファに腰を下ろす。
美緒も少し間を空けて座る。
意識しているのか、ただの癖なのか、その距離はわずかだったが、どこか意味を持っているようにも見えた。
静かな時間が流れる。
カーテン越しの光が、柔らかく部屋を照らしていた。
「あっ、大事なもの忘れてた!」
思い出したように声を上げると、美緒が少し驚く。
「えっ、どうしたんですか?」
「ストーブ買うの忘れてた」
「ストーブ?ありますよ」
美緒はポカンとした顔でこたえる。
「違う、電気じゃなくて石油ストーブだよ。あの、やかんから出る湯気とか、赤いぼんやりした炎がいいんだよ」
少しだけ間を置いて、続ける。
「それから、クリスマスツリーも」
美緒は喋っている私を見てクスッと笑い、
「分かりました。ストーブとツリー、買いに行きましょうね」
と言って立ち上がり、キッチンへ向かった。
程なくして、カウンター越しに聞き慣れたカリカリと豆を挽く音が聞こえてきた。
その様子を、何も言わずに見ていた。
やがて、湯気の立つカップがテーブルに置かれる。
「ありがとう」
受け取りながら言う。
「うん」
美緒は少し照れたように笑った。
一口飲む。
温かさが、ゆっくりと広がっていく。
そのまま、しばらく言葉はなかった。
何もない時間が、どこか心地よかった。
⸻
その日の夕方、茉莉花の事務所に帰ると、リビングにはクリスマスツリーが飾り付けてあった。
前に早苗と一緒に選んだツリーだ。
二階から降りて来た早苗が、私に駆け寄ってくる。
「ねえ、聞いてよ!」
少し興奮した様子で言った。
「どうした?」
返しながら、ソファーに腰を下ろす。
「茉莉花が始まる前に里奈と旅行に行くって言ってたでしょ」
「ああ」
「里奈ったら、クリスマスをまたぐ日程で予約入れてるのよ!」
早苗は私の隣に座り、腕を組んだ。
「去年は一緒にクリスマス過ごせなかったから、今年は楽しみにしてたのに」
そう言って頬を膨らませる。
そのタイミングで玄関のドアが開き、
「ただいまー!」
里奈ちゃんの元気な声が聞こえ、リビングのドアが開いた。
「あっ、直人くん帰ってたんだ」
里奈ちゃんは早苗に目を向けて続ける。
「早苗がね、旅行の日程が気に入らないみたいで拗ねてるんだよ」
「だってクリスマスだよ!」
「でも、その日がちょうど空いてたし安かったんだもん。たまには女二人のクリスマスもいいじゃん」
里奈ちゃんはそう言ってケラケラと笑った。
「クリスマスは帰ってきてから、二人ですればいいじゃないか」
なだめるように言う。
「もうキャンセルも出来ないしね……。
それじゃ、帰ってきてから二人でケーキ食べよう!」
早苗は気を取り直して微笑んだ。
「あっ、私も食べるよ!」里奈ちゃんが言う。
「あんたは一人で食べなさい!」
そのやり取りを聞きながら、リビングのクリスマスツリーを眺めていた。
淡く、優しく、静かに点滅している光。
その中に、美緒の顔が浮かんで見えた。

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