127話「離れない距離」

目が覚めたのは、頬に触れる柔らかい感触だった。

美緒が、指先で私の顔をゆっくりと撫でている。

その手は離れることなく、何かを確かめるように、何度も同じところをなぞっていた。

目を開けると、すぐ近くに美緒の顔があった。

優しく微笑みながら、まっすぐにこちらを見ている。

その視線を受け止めながら、私も少しだけ笑った。

言葉はなかった。

でも、美緒の手は頬に触れたままで、

その距離も、視線も、どちらも離れようとはしなかった。

外はまだ薄暗く、夜と朝のあいだみたいな空気だった。

二人で、朝がくるまでベッドの中にいた。

美緒はそっと両手で私の顔を包み込んだ。

少しだけ間があって、優しくキスをした。

美緒からキスをしてきたのは、このときが初めてだった。

触れた瞬間、ほんの少しだけ息が止まった。

柔らかいのに、離れたくないと思うくらいの熱があった。

唇が離れたあとも、しばらくそのまま見つめ合っていた。

やがて、部屋の中に朝の光が少しずつ入り始めた。

どちらからともなく体を起こして、

いつもと同じように時間が動き出す。

美緒はいつものように、キッチンで豆を挽き始める。

私はカリカリという音を聞きながら、簡単に身支度を整えソファーに腰を下ろした。

少しすると美緒がカップをテーブルに置き隣に座った。

私はふと思い出したように口を開いた。

「すごく気になってるマンションがあるんだ」

美緒がこちらを見る。

「大きな公園と植物園のすぐ横でさ、少し奥まってて静かなんだ」

少しだけ間があって、美緒は小さく頷いた。

「いいですね」

それだけ言って、また視線を戻す。

それ以上は何も聞かなかったし、何も言わなかった。

でも、ちゃんと受け取っているのは分かった。

ジャケットを羽織り部屋を出る。

玄関で靴を履いて、ドアを開けたあと、少しだけ振り返った。

美緒は立ったまま、微笑んでこちらを見ていた。

「気をつけて」

少し照れたように言いながら、でも目は逸らさない。

そのまま目が合って、私は小さく笑って返した。

一瞬だけ、時間が止まったような間があった。

それから、何も言わずにドアを閉めた。

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