夜は、思っていたより静かだった。
部屋の明かりを少し落とすと、昼間とはまるで違う空間に感じられる。
ソファに座りながら、何気なく窓の外に目をやる。
暗くなった公園は、輪郭だけを残して静かに広がっていた。
その中に、ひとつだけ浮かぶ光があった。
「……あれ」
思わず声が漏れる。
公園の中央に、大きなクリスマスツリーが立っていた。
色とりどりの灯りが、ゆっくりと点滅している。
昼間には、確かになかったはずの景色だった。
ベランダに出ると、冷たい空気が肌に触れた。
少し遅れて、美緒も外に出てくる。
「どうしたんですか?」
「ほら、あそこ」
指をさすと、美緒は目を細めてその先を見る。
「あ……」
小さく声を漏らした。
「全然気づかなかったですね」
「昼は点いてなかったんだろうな」
そう言いながら、二人がけの椅子に腰を下ろす。
自然と、美緒は隣に座る。
触れてはいないが、わずかな距離しかなかった。
何も言わずに、しばらくツリーを眺める。
光がゆっくりと点滅するたびに、横顔がやわらかく照らされる。
ふと、肩が触れた。
ほんのわずかに。
どちらからともなく、少しだけ体勢を整える。
けれど、離れることはなかった。
そのままの距離で、また静けさが戻る。
隣にある手が、わずかに動く。
迷うような仕草のあと、指先がそっと触れてきた。
触れて、止まる。
その手を、軽く包む。
美緒の指が、少しだけ強く握り返した。
その感触に、意識が引き寄せられる。
距離が、さっきよりも近くなる。
隣にいるはずなのに、妙に近く感じた。
目が合う。
逃げるほどの距離ではない。
でも、そのまま見ているには、少しだけ近すぎる距離。
ほんのわずかに、顔が近づく。
冷たい空気の中で、互いの息だけがわずかに温かかった。
触れるかどうかの距離で、止まる。
美緒が小さく息を飲む。
視線が揺れる。
それでも、離れようとはしなかった。
そのまま、少しだけ顔を伏せる。
触れそうだった距離が、わずかにずれる。
手だけは、そのままだった。
「……こういうの、いいですね」
かすかに震える声だった。
「こういうの?」
「ただ、こうしてるだけの時間」
ツリーに視線を戻しながら言う。
「なんか、落ち着きます」
その言葉のあと、少しだけ間が空く。
「慣れてきたか」
静かに言う。
美緒は、ほんの一瞬だけ迷うようにしてから
「……うん」
と答えた。
その声は、今までで一番自然だった。
ツリーの光が、ゆっくりと点滅する。
その明かりが、近すぎる距離と、繋いだ手をやわらかく照らしていた。
指に、少しだけ力がこもる。
それに応えるように、こちらもわずかに握り返す。
それ以上は、何も言わなかった。
言葉にしないまま、その距離に身を置いていた。
「寒いな」
ふと思い出したように言う。
「……はい」
美緒は小さく頷いた。
立ち上がる前に、ほんの一瞬だけ
手が離れるのを惜しむような間があった。
どちらからともなく、先に離した。
「コーヒー、淹れますね」
そう言って、部屋へ戻っていく。
その背中を見送りながら、もう一度ツリーに視線を戻す。
さっきよりも、少しだけ近く感じた。
⸻
数日後。
リビングでは、早苗がスーツケースを広げていた。
「ねえ、これも持っていこうかな」
服を手に取りながら、こちらを見る。
「うん、いいんじゃないかな」
ソファに座ったまま返す。
「もう、適当なんだから」
そう言いながらも、どこか楽しそうだった。
「23日からだっけ」
「うん、26日に帰ってくるよ」
スーツケースの中を整えながら、早苗は続ける。
「里奈がね、その日が一番安かったって」
「ああ、里奈ちゃんそう言ってたな」
「でもまあ、たまにはいいでしょ。女二人で旅行も」
そう言って、軽く笑う。
少しだけ間が空く。
「……本当はさ」
手を止めたまま、小さく呟く。
「今年は、一緒に過ごせると思ってたんだけどね」
その言葉は、軽く流せるほど軽くはなかった。
「まあ、仕方ないか」
すぐにいつもの調子に戻して笑う。
「帰ってきたらケーキ食べようね」
「ああ」
短く返す。
早苗は一瞬だけこちらを見て、それからスーツケースを閉じた。
その音が、少しだけ大きく響いた気がした。
その様子を見ながら、何も言わずにいた。
頭の中には、別の光景が浮かんでいた。
夜の公園と、あのツリー。
そして、その隣にいた美緒の横顔。
触れそうで触れなかった距離と、離さなかった手の感触。
淡く、静かに点滅する光が、まだどこかに残っている気がした。
消えるべきものなのかどうかも、分からないまま。

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