事務所は、駅から歩いてすぐの新築マンションの一室だった。
四LDKの部屋で、リビングを待機場所にしている。
昼の部のキャストが四人、ソファや椅子に座っていた。
オープン初日ということもあってか、みんな少し緊張した様子で静かにしている。
テーブルの上にはジュースやお菓子が置かれていた。
手を伸ばす子もいたが、どこか落ち着かない様子で、携帯電話を触ったり時計を見たりしている。
事務所のマンション前には送迎用のワゴン車が停まっていた。
女の子を何人か乗せられる、タウンエースのような車だ。
営業開始は午後十二時からの予定だった。
だが、午前十時を少し回った頃、事務所の携帯電話が鳴った。
弘がすぐに電話を取る。
「はい、月下美人です」
――店の名前は、恵美さんが決めた。
物件が決まり、準備を進めていた頃のことだ。
「店の名前、どうするの?」
恵美さんがそう聞いた。
「まだ決めてません」
そう答えると、恵美さんは少し考えてから言った。
「月下美人ってどう?」
夜に咲く花の名前らしい。
私は少し考えてから頷いた。
「いいですね。それにしましょう」
こうして店の名前は、月下美人に決まった。
「はい……はい……」
弘の声で、私は現実に戻った。
メモ帳を広げ、客の好みを聞きながら女の子たちをさりげなく見渡している。
「落ち着いた感じの子ですね。わかりました」
電話を切ると、弘は笑いながら言った。
「兄貴、一本入りました」
「もうか」
「新規オープンですからね」
そう言うと弘は、ソファに座っている女の子たちの方を向いた。
「○○ちゃん、もうお仕事入ったよ」
優しい声だった。
呼ばれた女の子は少し驚いた顔をしてから、小さく頷いた。
弘は軽い調子で続ける。
「場所は○○ホテル。時間は十二時」
そして、少し笑いながら言った。
「大丈夫。優しそうなお客さんだったから」
その一言で、女の子の表情が少しだけ和らいだ。
弘はこういうところが上手かった。
女の子の緊張を、さりげなくほぐしてしまう。
そして、十二時を過ぎた頃だった。
事務所の携帯電話が、立て続けに鳴り始めた。
「はい、月下美人です」
弘は次々に電話を取りながら、メモを走らせていく。
「はい……はい……少々お待ちください」
さっきまで静かだった事務所の空気が、一気に慌ただしくなる。
「○○ちゃん、一本入ったよ」
「△△ちゃんも準備して」
昼の部の四人のキャストに、次々と仕事が入っていった。
最初の送迎は四人全員。
弘が運転で、私は助手席に乗った。
弘は慣れた様子でホテルを回る。
「◯◯ちゃん、◯号室だからね」
そう伝えると、微笑みながら言った。
「いってらっしゃい。頑張ってね」
声かけも忘れない。
女の子を送り終えると、ほどなくして連絡が入る。
「◯分でお願いします」
弘は「はい。了解です」と答えると、すぐにタイマーをかけた。
その手際の良さに、私は思わず感心した。
――こいつ、本当にこの仕事に向いているな。
静かだった事務所は、もう完全に動き出していた。
初めての忙しさの中、少しずつ場に慣れていく女の子たち。
そんな光景を見ながら、私は今日という一日が無事に終わることを願った。
月下美人の営業初日は、こうして一気に忙しさを帯びていった。

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