「兄貴、姐さんご馳走様でした!」
弘は車が動き出すまで、笑顔で手を振っていた。
車の中は、さっきまでの焼肉の喧騒が嘘みたいに静かだった。
窓の外を流れる街灯の光が、ぼんやりと揺れている。
「弘君って、ほんと面白いよね」
早苗がくすっと笑う。
「あいつは、昔からあんな調子で変わってないよ」
そう返しながら、頭の中には「水田由美」という名前が浮かんでいた。
「さっきの電話のこと考えてるでしょ」
早苗に、水田由美からの電話だったこと、陣さんが移監されたことを話した。
途中、コンビニでコーヒーを買い、河川敷の公園へ向かう。
公園に着き、窓を開けてエンジンを切ると、初夏の爽やかな風が頬を撫で、新緑の香りが鼻をくすぐった。
川面に映る月の光が静かに揺れ、虫の声が夜の空気に溶け込んでいる。
二人で車を降り、芝生の上を歩いた。
「陣さんは、やっぱり利用する目的で結婚したのかなぁ」
早苗は手を後ろで組み、少し浮かない顔でつぶやく。
「うーん、どうだろう。もし偽装結婚だとしても、本人たちが納得してるなら、それはそれでいいし」
「えっ、納得って?」
「例えば、お金とかじゃないかな」
「ふーん、お金かぁ」
早苗は怪訝な顔で首を傾げ、その視線を川面に落とした。
その一瞬の沈黙に、胸の奥が少しざわつく。
お金……それだけじゃないはずなのに、と思う。
私は陣さんの「人に言うなよ」という言葉を思い出していた。
普段は冗談ばかり言っているのに、そのときはいつになく真剣な目をしていた。
「まぁ、とにかく面会に乗せていかなきゃならないから、水田由美って人に会えば何か分かるよ」
早苗は黙って頷き、川の方に目をやる。
私は芝生に腰を下ろし、別のことを考えていた。
恵美さんのことを早苗に隠し、勢いのままに始めた仕事。
弘が相棒になったこと。
執行猶予の保護観察という現状。
不安だらけだが、先に進むしかない。
もうすべてが動き出している。
いや、動き出させたのは自分自身なんだから。
早苗は横に座り、静かに私の肩に顔を寄せ川面の輝きを見ている。
その温もりが、今の自分には少しだけ眩しく感じた。
街の明かりが遠くに小さく見え、静かな時間が二人を包んでいた。
私は飲みかけのホットコーヒーを飲み干し、もうアイスでもよかったかなと、ふと思う。

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