61話「離さない手」

「話がある」

そう言った自分の声が、思っていたよりも冷静だった。

喉が震えると思っていたのに、不思議なくらい落ち着いていた。

早苗はすぐにこちらを見た。

驚きも戸惑いもなく、ただ静かに。

その目を見た瞬間

ずっと言わずにいられたことが、もう隠せないとわかった。

「刺青を入れようと思ってる」

部屋の空気が、わずかに重くなった気がした。

早苗は黙ったまま立ち上がり、コーヒーを淹れた。

マグカップを二つ持って戻ってくると、私の隣に静かに腰を下ろす。

窓から夕陽が差し込み、部屋は茜色に染まっていた。

外ではカラスの鳴き声や車の走る音が混じり合い、夕方の喧騒が広がっている。

それでもこの部屋の中だけは、時計の針の音だけがやけに大きく響いていた。

早苗はマグカップを包み込むように持ち、下を向いたまま言った。

「あなたが、こんなことを言い出すんじゃないかって、うすうす思ってたんだ」

私は頷くだけで、何も言えなかった。

「だからね……少し前から、私なりに覚悟は決めてた」

早苗はコーヒーを一口飲み、ゆっくり顔を上げる。

「あなたは今日覚悟して決めたかもしれないけど、私はもう覚悟できてるよ」

その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「私はあなたについていく。あなたと一緒に生きていくって決めたの」

胸の奥が強く締めつけられた。

巻き込んでいいのか。

この先に何が待っているのか、私自身わかっていないのに。

それでも――

私は彼女を止めなかった。

早苗を抱き寄せ、力強く抱きしめる。

早苗の身体が小さく震え、静かに泣いているのがわかった。

「ありがとう」

それしか言えなかった。

茜色だった部屋は、いつの間にか紫色へと変わっていた。

窓の外でネオンが滲む。

早苗の指が、私の背中に深く食い込む。

離さない、と言葉にしなくても分かった。

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