172話「静かな最終確認」

翌日、目を覚ますと隣に美緒の姿はなかった。

ベッドから出てリビングに行くと、窓から入る光が静かに部屋を照らしている。

ストーブの上のケトルから出る湯気と、湯の沸く音だけが広がっていた。

テーブルの上には、まだ整理しきれていないアクセサリーケースや書類が並んでいる。

これから動き出すものたちが、そこに静かに置かれているような感覚だった。

そのとき玄関のドアが開き、冷たい空気が流れ込む。

美緒がリビングに入ってきた。

「あっ、おはよう。起きたんだ」

美緒はコートを脱ぎながら言う。

「ああ、おはよう。どこか行ってたのか?」

私はソファーに腰を下ろしながら聞いた。

「うん、契約書と領収書のコピーしに行ってたの。

あっ、焼きたてのパン買ってきたから食べよ」

美緒は紙袋を軽く掲げて微笑む。

「コーヒー淹れるね」

そう言ってキッチンへ向かった。

私はテーブルの上に並んだアクセサリーや書類を眺めながら、頭の中を整理していく。

書類は揃っている。

アクセサリーも販売できる形になっている。

役割担当も決まった。

いつものコーヒーの香りが漂い、美緒がカップを持ってリビングへ戻ってきた。

カップを私に手渡し、そのまま隣に座る。

「もう準備は出来たな」

「うん。そうだね」

美緒が小さく頷く。

私はコーヒーを一口飲み、美緒を見て言った。

「リトに連絡するか」

テーブルの上にある携帯を手に取り、リトへ連絡を入れた。

アクセサリーの準備ができたこと。

英語が喋れる美緒が販売を担当すること。

そしてリトには、そのサポート役をしてほしいことを伝える。

リトは一瞬の間もなく、

「分かりました! タレントに話して、後で電話するヨ!」

と返してきた。

その軽さと速さに、少しだけ現実の動きを感じる。

私はその内容を美緒に伝えた。

美緒は一度だけ小さく頷き、すぐにテーブルへ視線を落とした。

そこから二人で、短く最終確認を始める。

美緒は実際にアクセサリーケースを開きながら、見せる順番を確認していた。

どのように見せるか。

値引きの額と支払い回数。

現金払いの場合の値引き額。

無理に売り込まないこと。

そして英語でのやり取りの流れ。

言葉は少なかったが、その一つひとつに重みがあった。

ただの準備ではなく、「現場に入るための確認」になっていた。

その流れの中で、私はひとつだけルールを決めた。

ローンで購入するタレントに関しては、在留資格カード(エイリアンカード)の写真を必ず撮ること。

支払いの管理と確認のためだった。

美緒はその内容を静かにメモしながら、短く答える。

「分かった。大丈夫」

その声には、揺れがなかった。

しばらくして、夕方前にリトから再び連絡が入った。

MAHALのタレントが、今日の仕事終わりにアクセサリーを見てみたいと言っているという。

思っていたよりも早い展開だった。

あとはリトからの連絡を待つだけだ。

やがて、リトのマンションへ向かう時間が近づくにつれて、部屋の空気が少しずつ変わっていく。

昨日の夜とは違う、静かな緊張だった。

美緒は一度だけ小さく息をついたあと、こちらを見た。

「いよいよだね」

私は短く頷く。

ここから先は、もう想像ではなく現実の領域だった。

そして私たちは、リトのマンションへ向かった。

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