158話「やり方次第」

店を出た瞬間、冬の空気が火照った身体をゆっくり冷ましていく。

「うわ、さみっ……」

弘が肩をすくめながら笑った。

焼肉屋の前には、年末特有の賑わいがまだ残っている。

酔ったサラリーマンたちの笑い声。

タクシーを待つ人影。

ネオンに照らされた夜の街。

「で、ほんとに行くんすよね?」

弘が嬉しそうに振り返る。

「お前、その顔見ると最初から決まってただろ」

「当たり前じゃないっすか。年末っすよ?」

そのやり取りに、大介が苦笑する。

美咲たちもどこか楽しそうだった。

その横で、美緒がマフラーへ顔を少し埋めながら、小さく笑っている。

その表情を見た瞬間、不思議とまた胸の奥が静かになる。

「……行くか」

そう言うと、弘がすぐに声を上げた。

「よっしゃ! MAHALっす!」

「美緒ちゃん、MAHALって行ったことあるの?」

前を歩きながら、美咲が振り返る。

「クリスマスに直人さんと弘さん三人で行ったよ」

「えっ、美緒ちゃん行ったことあるの?」

今度は美咲が驚く。

「なんか意外」

「俺も」

大介まで笑った。

「クリスマスの時、俺が連れてったんすよ」

弘が得意げに言う。

「ボスとフィリピンパブって、ちょっと想像つかないですね」

大介が少し驚いたように言う。

「どういう意味だよ」

そう返すと、周囲から笑いが漏れる。

「でも、あそこマジで別世界っすから」

弘が嬉しそうに言った。

「美咲ちゃん絶対びっくりするよ」

店の前へ着いた瞬間、弘が嬉しそうに声を上げた。

「うわ、やっぱ年末すげぇ……」

雑居ビルの入り口には、すでに何組もの客が出入りしている。

ネオンの光。

呼び込みの声。

タガログ語混じりの笑い声。

焼肉屋とはまた違う熱気が、夜の街へ滲んでいた。

「ここ?」

美咲が看板を見上げながら言う。

「あぁ、MAHAL」

「なんかもう入口から違うね」

大介も周囲を見回しながら苦笑した。

「だから言っただろ、別世界なんだから」

弘は完全に上機嫌だった。

店の扉を開けた瞬間、派手な音楽と一緒に独特の空気が流れ込んでくる。

甘い香水。

酒の匂い。

どこか南国を感じさせる匂い。

色とりどりのライト。

フロアでは、フィリピン人のタレントたちが笑顔で客を迎えていた。

「いらっしゃいませ〜!」

女の子たちの明るい声が飛ぶ。

その空気に、美咲が思わず笑う。

「すご……」

「すごいですね」

大介も少し戸惑ったように笑っていた。

そんな中、奥の方から見覚えのある顔がこちらへ気づく。

「あっ!」

リトだった。

「ナオト!」

嬉しそうに笑いながら、すぐこちらへ歩いてくる。

「久しぶり〜!」

「クリスマス振り」

「ウン!」

リトは相変わらず人懐っこい笑顔だった。

その横で、美緒も小さく会釈する。

「こんばんは」

「あっ、ミオ!」

リトはすぐに思い出したように笑った。

「クリスマス!」

「うん」

美緒も少しだけ笑う。

その横で、弘はすでに別の女の子へ手を振っていた。

「あっ、メイ〜!」

メイも気づいて笑顔を見せる。

けれど、近くまで来た瞬間。

その表情が、一瞬だけ曇ったように見えた。

「……?」

弘は気づいていない。

だがメイは、他のタレントたちと何か小声で話している。

その空気が、ほんの少しだけ引っかかった。

席へ案内され、酒が運ばれてくる。

店内はかなり混み合っていた。

ステージでは陽気な音楽が流れ、女の子たちが笑顔で踊っている。

年末特有の熱気。

どの席も騒がしかった。

「乾杯しましょー!」

美咲の声でグラスがぶつかる。

弘はすでに出来上がり始めていた。

「いや〜、年末最高っすね!」

「お前さっきからそれしか言ってないな」

「だって楽しいじゃないっすか!」

その様子に周囲が笑う。

しばらくして、美緒が隣へ少し身体を寄せてきた。

「……ねぇ」

「ん?」

「さっき、少し揉めてたって言うかメイたちタレントが怒ってたみたい」

「揉めてた?」

「うん。メイに何かあったの?って聞いてみたんだけど」

店の音楽に紛れるような、小さな声だった。

「なんて言ってたんだ」

美緒は店の奥へちらりと視線を向ける。

「なんか、アクセサリー売りに来る人がいるって」

「アクセサリー?」

「年配の女の人らしいんだけど……」

美緒は小さな声で続けた。

「アルバイトで働いてるフィリピン人の人たちに、貴金属売ってるみたい」

「アルバイト?」

「結婚して日本に住んでる人とか」

その言葉に、少しだけ引っかかる。

「タレントじゃなくて?」

「うん。タレントの子たちはそんなお金ないからって」

店の音楽が低く響く。

その横で、美緒は少し困ったように笑った。

「でも、その人タレントの子たちにも売ろうとするみたいで……」

「へぇ」

「しかも現金だけなんだって。ローンもダメらしい」

「現金か」

「しかも、そんな安くないってみんな言ってた」

ちょうどその時、リトがテーブルへ戻ってきた。

「ナオト、飲もう!」

「あぁ、その前にちょっと聞いていい」

そう聞いた瞬間、リトの表情が少し変わる。

「なにか問題あった?」

メイから聞いた話をすると、

「あー……」

リトはグラスを揺らしながら苦笑した。

「でも、みんな欲しいネ。でもあのアクセサリー売ってる人は気持ちがないヨ」

「気持ちがない?」

「ウン。ハートが冷たいヨ。買って買ってばっかりで、自分のことだけしか考えない」

ステージでは陽気な音楽が鳴り続けている。

笑い声。

ネオン。

飛び交うタガログ語。

その中で、頭の奥だけが妙に静かだった。

欲しい人間はいる。

そう思った瞬間、酒の酔いが少しだけ引いていく感覚があった。

けれど、ちゃんとした売り方をしている人間がいない。

グラスの氷が、小さく鳴る。

——これ、やり方次第かもしれない。

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