店を出た瞬間、冬の空気が火照った身体をゆっくり冷ましていく。
「うわ、さみっ……」
弘が肩をすくめながら笑った。
焼肉屋の前には、年末特有の賑わいがまだ残っている。
酔ったサラリーマンたちの笑い声。
タクシーを待つ人影。
ネオンに照らされた夜の街。
「で、ほんとに行くんすよね?」
弘が嬉しそうに振り返る。
「お前、その顔見ると最初から決まってただろ」
「当たり前じゃないっすか。年末っすよ?」
そのやり取りに、大介が苦笑する。
美咲たちもどこか楽しそうだった。
その横で、美緒がマフラーへ顔を少し埋めながら、小さく笑っている。
その表情を見た瞬間、不思議とまた胸の奥が静かになる。
「……行くか」
そう言うと、弘がすぐに声を上げた。
「よっしゃ! MAHALっす!」
「美緒ちゃん、MAHALって行ったことあるの?」
前を歩きながら、美咲が振り返る。
「クリスマスに直人さんと弘さん三人で行ったよ」
「えっ、美緒ちゃん行ったことあるの?」
今度は美咲が驚く。
「なんか意外」
「俺も」
大介まで笑った。
「クリスマスの時、俺が連れてったんすよ」
弘が得意げに言う。
「ボスとフィリピンパブって、ちょっと想像つかないですね」
大介が少し驚いたように言う。
「どういう意味だよ」
そう返すと、周囲から笑いが漏れる。
「でも、あそこマジで別世界っすから」
弘が嬉しそうに言った。
「美咲ちゃん絶対びっくりするよ」
店の前へ着いた瞬間、弘が嬉しそうに声を上げた。
「うわ、やっぱ年末すげぇ……」
雑居ビルの入り口には、すでに何組もの客が出入りしている。
ネオンの光。
呼び込みの声。
タガログ語混じりの笑い声。
焼肉屋とはまた違う熱気が、夜の街へ滲んでいた。
「ここ?」
美咲が看板を見上げながら言う。
「あぁ、MAHAL」
「なんかもう入口から違うね」
大介も周囲を見回しながら苦笑した。
「だから言っただろ、別世界なんだから」
弘は完全に上機嫌だった。
店の扉を開けた瞬間、派手な音楽と一緒に独特の空気が流れ込んでくる。
甘い香水。
酒の匂い。
どこか南国を感じさせる匂い。
色とりどりのライト。
フロアでは、フィリピン人のタレントたちが笑顔で客を迎えていた。
「いらっしゃいませ〜!」
女の子たちの明るい声が飛ぶ。
その空気に、美咲が思わず笑う。
「すご……」
「すごいですね」
大介も少し戸惑ったように笑っていた。
そんな中、奥の方から見覚えのある顔がこちらへ気づく。
「あっ!」
リトだった。
「ナオト!」
嬉しそうに笑いながら、すぐこちらへ歩いてくる。
「久しぶり〜!」
「クリスマス振り」
「ウン!」
リトは相変わらず人懐っこい笑顔だった。
その横で、美緒も小さく会釈する。
「こんばんは」
「あっ、ミオ!」
リトはすぐに思い出したように笑った。
「クリスマス!」
「うん」
美緒も少しだけ笑う。
その横で、弘はすでに別の女の子へ手を振っていた。
「あっ、メイ〜!」
メイも気づいて笑顔を見せる。
けれど、近くまで来た瞬間。
その表情が、一瞬だけ曇ったように見えた。
「……?」
弘は気づいていない。
だがメイは、他のタレントたちと何か小声で話している。
その空気が、ほんの少しだけ引っかかった。
席へ案内され、酒が運ばれてくる。
店内はかなり混み合っていた。
ステージでは陽気な音楽が流れ、女の子たちが笑顔で踊っている。
年末特有の熱気。
どの席も騒がしかった。
「乾杯しましょー!」
美咲の声でグラスがぶつかる。
弘はすでに出来上がり始めていた。
「いや〜、年末最高っすね!」
「お前さっきからそれしか言ってないな」
「だって楽しいじゃないっすか!」
その様子に周囲が笑う。
しばらくして、美緒が隣へ少し身体を寄せてきた。
「……ねぇ」
「ん?」
「さっき、少し揉めてたって言うかメイたちタレントが怒ってたみたい」
「揉めてた?」
「うん。メイに何かあったの?って聞いてみたんだけど」
店の音楽に紛れるような、小さな声だった。
「なんて言ってたんだ」
美緒は店の奥へちらりと視線を向ける。
「なんか、アクセサリー売りに来る人がいるって」
「アクセサリー?」
「年配の女の人らしいんだけど……」
美緒は小さな声で続けた。
「アルバイトで働いてるフィリピン人の人たちに、貴金属売ってるみたい」
「アルバイト?」
「結婚して日本に住んでる人とか」
その言葉に、少しだけ引っかかる。
「タレントじゃなくて?」
「うん。タレントの子たちはそんなお金ないからって」
店の音楽が低く響く。
その横で、美緒は少し困ったように笑った。
「でも、その人タレントの子たちにも売ろうとするみたいで……」
「へぇ」
「しかも現金だけなんだって。ローンもダメらしい」
「現金か」
「しかも、そんな安くないってみんな言ってた」
ちょうどその時、リトがテーブルへ戻ってきた。
「ナオト、飲もう!」
「あぁ、その前にちょっと聞いていい」
そう聞いた瞬間、リトの表情が少し変わる。
「なにか問題あった?」
メイから聞いた話をすると、
「あー……」
リトはグラスを揺らしながら苦笑した。
「でも、みんな欲しいネ。でもあのアクセサリー売ってる人は気持ちがないヨ」
「気持ちがない?」
「ウン。ハートが冷たいヨ。買って買ってばっかりで、自分のことだけしか考えない」
ステージでは陽気な音楽が鳴り続けている。
笑い声。
ネオン。
飛び交うタガログ語。
その中で、頭の奥だけが妙に静かだった。
欲しい人間はいる。
そう思った瞬間、酒の酔いが少しだけ引いていく感覚があった。
けれど、ちゃんとした売り方をしている人間がいない。
グラスの氷が、小さく鳴る。
——これ、やり方次第かもしれない。

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