153話「初雪の温度」

夕方前に、茉莉花の事務所を出た。

車に乗り込み携帯を見ると、美緒からメールが届いていた。

『弘さんからデータ受け取りました。

自宅に戻って作業に入ります』

一時間ほど前に届いていたメールだった。

『分かった。今から行く』

短く返信する。

部屋のドアを開けると、美緒の「おかえり」と言う柔らかな声と、いつものいい匂いが出迎える。

「ただいま」と少し笑いながら返し、コートを脱ぐと、さり気なく美緒が受け取る。

リビングは夕方の柔らかなオレンジ色の光が、美緒の部屋の奥まで差し込んでいた。

カーテン越しの光に照らされたテーブルの上には、ノートパソコンといくつかの資料。

「コーヒー淹れるね」

コートをかけながら美緒が言う。

「ありがとう」

私はソファーに体を預ける。

いつもの豆を挽く音が聞こえ、やがてコーヒーの良い香りが部屋に広がる。

美緒がカップをテーブルに置き、隣に座る。

「女の子の写真どうだった?」

カップを手に取りながら聞く。

「うん、すごくいい写真だよ。

余白の使い方。背景のぼかしや光の入れ方。

あと、女の子がすごくリラックスして自然体で撮れてるのがすごいよ。

さすが美咲さんって感じ」

美緒はそう言いながら、パソコンの画面の向きを少し私に向ける。

画面に映る写真は想像以上のものだった。

無邪気に笑う写真。

モデルみたいなポーズをしている写真。

どの写真もリラックスしているのが、見ていて伝わる。

「すごいな、ファッション雑誌の写真みたいだな」

画面を見たまま、つぶやくように言った。

「うん。すごいでしょ、バリエーションも多いから女の子ひとりにつき十枚は載せられるよ」

美緒は小さく頷きながら言う。

「そうか、さすがカメラが好きっていうだけあるな」

「手を加えるところは、ほとんどないよ。

顔にぼかしの加工と、ホクロなんかを消すくらいかな」

そのタイミングで、テーブルの上の携帯が震えた。

弘からの着信だった。

「もしもし」

「お疲れっす、兄貴。いま大丈夫っすか?」

「ああ、どうした?」

「明日の夜、忘年会しようかと思ってるんすよね。

兄貴の都合はどうですか?」

「問題ない。

美咲の歓迎会もしてなかったからな」

「やったぁ!それじゃ、店と時間が決まったら連絡するっすね」

弘が喜んでいる顔が浮かんだ。

「あっ、写真のほうはどうだったすか?」

弘が少し心配そうに聞く。

「ああ、バッチリだ。

美緒も驚いてたぞ。美咲にそう伝えておいてくれ」

そう答えると、電話の向こうで少しだけ安堵したような気配がした。

電話を切り、美緒に

「弘が明日の夜、忘年会やりたいらしいんだ。美緒も行くだろ?」と聞いた。

「うん、行きたい」

美緒は嬉しそうに言った。

ふと窓を見ると、雪がちらついている。

「なんか冷えるなって思ったんだよな」

私は立ち上がり、窓から外を眺めていた。

「本当だ、初雪だね」

美緒は隣に来て、そっと腕を絡める。

しばらく二人で、風に舞う雪を眺めていた。

「マジで冷え込んできたなぁ」

私は身体をブルっと震わせた。

美緒が私の腕を少し引き寄せる。

隣に目をやると、

「ねえ……また一緒にお風呂入ろっか」

美緒は少し悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

その表情にドキッとしたが、「ああ」とだけ短く返した。

「それじゃ……準備してくるね」

小さな声で恥ずかしそうに言い、絡めていた腕を離した。

私はそのまま窓の外を見つめていた。

少し窓を開けると、冷たい風が吹き込んだ。

その冷たさの中で、さっきの美緒の体温だけがやけに残っていた。

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