147話「柔らかな距離」

翌朝、目が覚めると、部屋の空気が柔らかかった。

カーテンの隙間から差し込む光が、床にやわらかく伸びている。

隣を見ると、美緒がまだ眠っていた。

規則的な呼吸と、わずかに乱れた髪。

そのどちらもが、昨日より近く感じた。

起こさないように、そっと身体を起こす。

そのままゆっくりとベッドを出る。

ストーブに火をつけ、キッチンに向かいコーヒー豆を探していた。

「……起きてたの?」

後ろから声がした。

振り向くと、美緒が目を細めながら立っている。

「ああ」

「コーヒー、淹れようか」

そう言って隣に来る。

「私がいないとコーヒーも飲めないね」

美緒は少しだけ笑う。

「ほんとだな」

そのやり取りが、妙に自然だった。

私はカウンターの向こうに回り、美緒がコーヒーを淹れるのを眺めていた。

カリカリカリと心地よい音が広がる。

「私の淹れたコーヒー美味しいでしょ?

こうやって愛情込めて挽いてるからだよ」

美緒はミルの取手を回しながら微笑む。

やがてコーヒーの良い香りが漂ってくる。

美緒はカップを手渡しながら隣に座った。

「今日、エンジェルタッチに今年最後の集金に行ってくる。終わったら連絡入れるね」

「ああ、気をつけてな」

私がコーヒーに口をつけようとしたら、美緒がクスッと笑う。

「うん?」

「寝癖ついてるよ」

そう言うと、美緒はムースを持ってきて直しはじめた。

美緒が優しく髪の毛を整える。

指先が触れるたびに、少しだけくすぐったかった。

ふと美緒の言葉遣いが変わったことに気づいた。

自然過ぎて、いつからか分からない。

でも距離が近くなった気がした。

その日の夕方、空港へ向かう。

人の流れと、アナウンスの音。

スーツケースの転がる音が、あちこちで響いている。

到着ロビーで待っていると、ポケットの中の携帯が震えた。

画面を見ると、リトからだった。

「はい」

「あ、直人さん?」

聞き覚えのある声だった。

「リトです。昨日はありがとうございました」

店の中とは少し違う、落ち着いた声だった。

「ああ、こちらこそ」

周りのざわめきの中で、その声だけが妙にクリアに聞こえる。

「楽しかったって言ってもらえて、よかったです」

「そうか」

短く返す。

それだけのやり取りなのに、少し間が生まれる。

「また、よかったら来てください」

営業っぽくない、自然な言い方だった。

「分かった、また行くから」

「はい」

一拍置いてから、リトが続ける。

「それと——」

周りのアナウンスが、一瞬だけ遠くなる。

少しだけ声のトーンが変わる。

「また、ゆっくり話したいです」

その言葉に、わずかに引っかかるものが残る。

「……ああ」

曖昧に返す。

「じゃあ、失礼します」

通話が切れる。

画面を見たまま、少しだけ立ち止まった。

しばらくして、早苗たちが姿を見せた。

手を振りながら近づいてくる。

「直人くん!ただいまー!」

里奈ちゃんが手を振りながら駆け寄り、抱きついた。

少し遅れて早苗が駆け寄り、

「ちょっと里奈!なんで、あんたが抱きつくのよ!」

その様子を見て、日常が戻ってきた気がした。

軽く言葉を交わし、荷物を受け取る。

他愛のない会話が続く。

さっきまでの会話が、まだどこかに残っていた。

ただの挨拶のはずなのに、

それだけでは終わらない気がした。

コメント