143話「甘さのあとで」

扉を開けると、やわらかい甘い香りがふわりと広がった。

外の冷たい空気が、そこで途切れる。

「ここ、好きなんだよな」

そう言って中に入ると、店の奥のほうにある席に目を向けた。

ツリーはすぐ目の前にあった。

ガラス越しに見える光が、さっきよりも少しだけ近く感じる。

……いいお店ですね」

美緒が小さく言う。

「ああ。たまに来る」

それだけ答えて、向かいの席に座った。

しばらくして運ばれてきたカフェオレは、両手で包みたくなるくらい大きなマグカップに入っていた。

立ち上る湯気が、ゆっくりと空気に溶けていく。

「大きいですね」

少し驚いたように美緒が笑う。

「だろ」

短く返して、カップに口をつける。

温かさが、喉の奥に落ちていく。

続いて運ばれてきたベニエには、シナモンシュガーがたっぷりとかかっていた。

ひとつ取ると、指先に砂糖が軽くつく。

……甘そう」

そう言いながらも、美緒は少しだけ嬉しそうだった。

かじった瞬間、粉砂糖がふわりとこぼれ落ちる。

その様子を見て、思わず少しだけ笑った。

美緒はもう一口ベニエをかじって、指先についた砂糖を軽く払った。

その仕草を見ながら、カップを持ち上げる。

しばらくは何も話さずに、ただゆっくりとした時間が流れていた。

窓の外では、ツリーの光が変わらず瞬いている。

……今日さ」

不意に口を開く。

「このあと、弘と会うんだ」

「弘さんと?」

美緒が顔を上げる。

「ああ。ちょっと付き合ってほしいって言われてて」

それだけ言って、カフェオレを一口飲む。

それ以上は続けなかった。

美緒も、深くは聞かなかった。

ただ、小さく頷いてカップに口をつける。

その距離感が、心地よかった。

「私も一緒に行っていいんですか?」

少しだけ間を置いて、美緒が言う。

まっすぐではあるけど、ほんの少しだけ遠慮が混じっていた。

その言い方が、らしかった。

「うん、いいよ」

そう答えると、美緒は嬉しそうに頷いた。

店を出て、ツリーから少し離れた海辺の護岸に沿った遊歩道を歩いた。

冷たい空気の中、さっきまでの温もりが、まだ身体の奥に残っている。

二人でベンチに座る。

美緒は私の腕に手を絡め、そのまま顔を肩に寄せてきた。

静かな呼吸が、コート越しに伝わってくる。

海面に映ったクリスマスツリーは、ユラユラと揺れている。

しばらく、何も言わずにその光を眺めていた。

コートを分け合うように、美緒の身体を抱き寄せる。

少しだけ顔を上げた美緒と、視線が合った。

そのまま、自然に距離が縮まっていく。

そっと首元に手をまわし、引き寄せる。

触れた唇は、思っていたよりもやわらかかった。

一瞬だけ、時間が止まったような気がした。

わずかに離れたあとも、互いの呼吸が近いまま残る。

美緒は何も言わず、もう一度だけ目を閉じた。

さっきのベニエより、ずっと甘かった。

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