144話「聖夜に、目が合う」

駐車場を出ると、飲み屋街の空気はどこかいつもより浮ついていた。

クリスマスの夜特有の、軽いざわめき。

その中で、弘はやけに機嫌がよかった。

「いやー兄貴、良かったっす、ほんと」

笑いながら、ポケットからチケットを取り出して見せる。

「大介のやつ彼女と過ごすとか言いやがって」

そう言って、どこか楽しそうに肩をすくめた。

「クリスマスに一人とか、さすがに寂しいじゃないっすか」

冗談っぽい口調の奥に、少しだけ本音が混じっていた。

「あっ、このビルっすよ。ここの2階っす」

弘が足を止め、チケットを見ながら指差した。

エレベーターの中は、酒と香水の匂いが混ざり合っていた。

扉が開き、外に出る。

黒地に白い文字で“MAHAL”。その横に、小さな白い花が描かれた看板が目に入った。

派手なネオンと、人の出入り。

扉が開くたびに、中から熱気と音が漏れてくる。

その前で、一瞬だけ足が止まる。

隣を見ると、美緒も同じように店を見ていた。

「……すごいですね」

小さく、けれどはっきりとした声。

「だな」

短く返し、扉に手をかける。

中に入った瞬間、匂いが変わった。

フルーツのような甘さに、香水が重なる。

どこか南国を思わせる、独特な空気。

一歩踏み込むと、視界はほとんど闇に近かった。

その中で、ステージだけが強く照らされている。

白い光の中心に、ひとり立っていた。

真っ白いダブルのスーツに、黒のシャツ。花柄のネクタイ。

スポットライトを浴びながら、マイクを手にしている。

流れていたのは、Wonderful Tonight。

聞いたことのある曲だった。

けれど、その夜は少し違って聞こえた。

低く、やわらかい声が、店内に静かに広がっていく。

ざわめきが、不思議と一段落ちて聞こえた。

「……すげぇっすね」

隣で弘が小さく言った。

さっきまでの軽さとは違う、少しだけ抑えた声だった。

「ああ」

短く返しながら、視線はステージに向けたまま動かない。

ふとした瞬間に、視線が重なる。

気のせいかと思って外す。

けれど、またすぐに同じように合う。

スポットライトの中にいるはずなのに、妙に距離が近く感じた。

そのたびに、わずかに意識が引き寄せられる。

「いらっしゃいませ」

声をかけられて、現実に引き戻される。

案内されたのは、ステージの真ん前。

一番左のボックス席だった。

席に着くと、ステージとの距離の近さに気づく。

手を伸ばせば届きそうなほどだった。

横を見ると、美緒は静かにステージを見ていた。

驚いているはずなのに、目を逸らさない。

その横顔は、不思議と落ち着いて見えた。

歌は、まだ続いていた。

もう一度、視線が合う。

今度は、はっきりと。

わずかに笑ったように見えたのは、気のせいじゃなかった。

最後のフレーズが流れ、余韻を残したまま音が途切れる。

拍手が広がる。

その中で、もう一度だけ目が合った。

「ご指名、いかがなさいますか?」

タイミングを見計らったように、店員が声をかけてくる。

視線をステージから外さないまま、少しだけ間を置く。

「……あの人で」

軽く手で示す。

店員は一瞬だけそちらを見て、それからこちらに視線を戻した。

「……リト、でよろしいですか?」

どこか確認するような口調だった。

「はい」

短く答える。

「失礼しました」

店員は小さく頭を下げ、カウンターの方へ戻っていった。

横を見ると、美緒がこちらを見ていた。

何も言わないまま、ほんの少しだけ微笑む。

さっきまでとは、ほんのわずかに違う時間が流れ始めていた。

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