135話「並ぶ景色」

ドアの鍵を開けると、軽い金属音が静かに響いた。

「ここだよ」

そう言って扉を開ける。

美緒は一歩だけ間を置いてから、ゆっくりと中に入った。

昼の光がそのまま差し込む室内を、静かに見渡している。

何もない空間。

けれど、その視線はどこか丁寧だった。

リビングまで進み、足を止める。

窓の外に目を向けたまま、しばらく動かない。

イチョウ並木が、風に揺れていた。

「……いいね」

小さく、そう言った。

振り返った美緒は、少しだけ笑っていた。

「このベランダ、小さなテーブルと椅子を二つ置けますね」

部屋の中に、さっきまでなかった空気が少しずつ満ちていく気がした。

美緒はゆっくりと歩き出し、リビングをぐるりと見て回る。

何もない床を確かめるように、静かに足を進めていた。

「ここ、ソファ置けそうですね」

窓際を見ながら、ぽつりと言う。

「ああ、あそこがいいかもな」

私が指さすと、美緒はその場所に立って少しだけ考えるように視線を動かした。

「じゃあ、こっちにテーブルかな」

自然と、そんな言葉が続く。

まだ何もないはずの部屋に、少しずつ形が浮かんでいく。

「カーテンも必要だな」

「うん……明るいのがいいですね」

美緒はそう言って、もう一度窓の外を見た。

揺れるイチョウの葉に目を細めている。

「この景色、好き」

小さく、そう言った。

その横顔を見ていると、この部屋を選んでよかったと思えた。

「すぐ慣れるよ」

何気なくそう言うと、美緒は少し視線を落とした。

「……慣れていいのかな」

その言葉は小さかったが、はっきりと聞こえた。

一瞬だけ間が空く。

「いいだろ」

短くそう返す。

それ以上は何も付け足さなかった。

美緒は私の方を見て、それからふっと笑った。

「そっか」

その一言で、どこか張っていたものがほどけたように見えた。

窓から入る光が、さっきよりも柔らかく感じる。

何もなかったはずの部屋に、少しずつ色がついていく。

気づけば、美緒はさっき私が立っていた場所に立ち、同じように外を眺めていた。

その隣に並ぶ。

言葉はなかった。

ただ、同じ景色を見ていた。

それだけで、この場所はもう空っぽではなかった。

ポケットの中で、携帯が小さく震えた。

一瞬だけ視線を落とす。

画面には、弘の名前が表示されていた。

「もしもし」

「兄貴、いま大丈夫っすか?」

「ああ」

「美咲ちゃんのことなんすけど、あの子、兄貴に会って挨拶したいって言ってるんすよ」

少しだけ、間があく。

「そうか」

窓の外に目を向ける。

さっきまでと同じ景色のはずなのに、少しだけ見え方が変わっていた。

「時間つくってもらっていいっすか?」

「分かった、一時間後にいつものカフェで待ち合わせよう」

「了解っす、それじゃ美咲ちゃんと行くっすね」

短いやり取りで電話を切る。

携帯をポケットに戻した。

美緒は、窓の外を静かに眺めている。

その姿に、少しだけ安心する。

美緒が、そっと身体を寄せて腕を絡めてきた。

窓の外は木枯らしが吹き、イチョウの葉が舞っている。

何もない部屋の中で、美緒の温もりだけが確かだった。

その温もりを確かめるように、二人でそのまま窓の外をしばらく眺めていた。

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