昼過ぎの光が、カーテンのない窓からそのまま差し込んでいる。
何もない部屋は、思っていたよりも広く見えた。
ゆっくりと中に入り、ひと通り見て回る。
リビングに立ち止まり、窓の外に目を向けた。
窓からは公園のイチョウ並木が見え、黄色に色づいた葉が陽の光に照らされ輝いていた。
ここに、美緒が来る。
ふと、そんなことを思った。
しばらく、そのまま窓の外を眺めていた。
美緒の微笑む顔が頭に浮かぶ。
窓から見える景色、部屋の広さ、周囲の静けさ。
美緒に似合う場所だと思った。
もう一度だけ部屋を見渡してから、鍵を閉める。
廊下に出ると、さっきまでの静けさが嘘のように、現実に引き戻された気がした。
そのまま不動産屋へ戻り、契約の手続きを進める。
必要な書類に目を通しながら、淡々とサインをしていく。
大きな決断をしているはずなのに、どこか実感はなかった。
すべてが終わり、店を出る。
ポケットの中で携帯が震えた。
取り出して画面を見ると、弘からだった。
「兄貴、いま大丈夫っすか?」
「ああ」
短く返すと、弘は少し間を置いてから続けた。
「メールしてた件なんすけど、うちでスタッフとして働きたい女の子がいるんすよ」
「お前、今どこにいるんだ?」
「駅の近くにいるっす」
「それじゃ、駅のいつものカフェで落ち合おう」
そう言って電話を切り、駅に向かった。
カフェが見えると、弘が店の前で待っていた。
二人で店に入り、一番奥のテーブルに座った。
「兄貴、いつものでいいんすよね」
弘はそう言いながら席を立った。
店は女子高生やカップルなどで賑わっていた。
弘が、コーヒーとシナモンロールを二つずつ載せたトレーをテーブルに置き、席に着いた。
私はコーヒーを一口飲み、言った。
「で、どうしてうちでスタッフとして働きたいって言ってるんだ?」
弘はシナモンロールを口に運ぼうとした手を止め、話し始めた。
「話がちょっと長くなるんすよね。
その女の子、藤井美咲ちゃんっていうんすけど…」
美咲ちゃんとは数ヶ月前に知り合ったらしく、いつも駅のロータリーの二階のベンチに座り、ぼんやりとしていたという。
そんな美咲ちゃんに声をかけ、話すようになったらしい。
弘はシナモンロールをかじり、コーヒーを流し込むように飲み、話を続けた。
「美咲ちゃんは施設で育ったみたいなんすよ。
俺が兄貴とか月下美人の話をよくしてたら、アットホームで温かそうな職場でいいですねって言うんすよ」
弘は残ったシナモンロールを頬張った。
「分かった。その美咲ちゃんって子をスタッフとして迎え入れよう」
私は、何か理由があるわけじゃないが、弘がここまで話す相手なら問題はないと思った。
弘と別れ、歩き出す。
さっきまでいた部屋のことが、ふと頭をよぎる。
何もなかった空間。
これからあの部屋も、甘く落ち着いた匂いになっていくのかなと思った。

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