170話「甘い空気の中で」

時のかけらを出たあと、私はそのまま茉莉花へ戻った。

紙袋の中には、あのトランクから選んだアクセサリーが入っている。

少し重いはずなのに、不思議と気持ちは軽かった。

あの場所で交わしたやり取りが、まだ指先に残っている気がした。

茉莉花に着くと、早苗がリビングから出てきた。

「おかえり」

優しい声に迎えられる。

「いま、一人か?」

コートを脱ぎながら聞く。

「うん。仕事入ってるから、里奈も綾さんも送迎に出てる」

そう言いながら、自然にコートを受け取る。

「それじゃ、上に行こうか」

私は二階へ上がった。

座り慣れたソファーに腰を下ろすと、早苗も自然に隣へ座った。

私は紙袋をテーブルの上に置く。

「見てみる?」

そう言うと、早苗はすぐに興味を示した。

紙袋からジュエリーケースとジュエリーロールを取り出し、開いた瞬間、早苗の目が変わる。

「え、すご…」

指輪やネックレス、ブレスレットを手に取りながら、じっくりと見ていく。

光の当たり方で輝きが変わるたびに、小さく感嘆の声が漏れた。

「これ、お店で売ってるのと変わらないじゃん」

その反応を見て、少しだけ安心する。

私は続けて、仕入れ値の話をした。

「これ、全部かなり安く仕入れてる」

その瞬間、早苗の手が止まった。

「……どれくらい?」

金額を伝えると、今度ははっきりと驚いた顔になる。

「それ、本当にその値段?

普通に考えたら、ありえないよ」

早苗がアクセサリーをもう一度見ながら言う。

「ねえ。これってさ、フィリピン人向けだけじゃなくてさ」

少し間を置いて、続けた。

「お店の女の子も、普通に買うと思うよ」

その言葉で、視界が少しだけ開けた気がした。

フィリピン向け。

ずっと、そういう前提で考えていた。

でも、確かにそうだ。

このアクセサリーは、人を選ぶものじゃない。

「なるほどな……」

思わず口に出ていた。

商売は、最初に決めた枠だけで終わるものじゃない。

むしろ、そこから広がっていくものだ。

「店の女の子たちだったらさ。

プラチナのシンプルなデザインとか、一粒ダイヤのネックレスとかいいんじゃないかな」

早苗は少し考え込むような顔で言う。

「あっ、あとピアスもあるといいと思う」

早苗と二人で、いくつかの組み合わせや見せ方について話し始めた。

さっきまでただの“仕入れ”だったものが、少しずつ形を変えていく。

気づけば、部屋の空気は仕事の会話で満たされていた。

けれど、不思議と堅苦しさはなかった。

むしろ、どこか楽しい。

ひとつの可能性が、少しずつ広がっていく感覚。

ひと段落したところで、早苗がふっと肩の力を抜いた。

「まあさ」

軽く笑いながら、こちらを見る。

「こういうの考えてる時が、一番おもしろいよね」

その言葉に、私も少し笑った。

確かに、そうかもしれない。

売れるかどうかの前に、もうすでに動き始めている感覚。

それは少しだけ、心を満たしていた。

そのあともしばらく、二人で他愛ない話をしながら過ごした。

さっきまでの緊張が、ゆっくりとほどけていく。

仕事と日常の境目が、少しずつ曖昧になっていく。

気づけば、その時間は少しだけ甘い空気を含んでいた。

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