141話「ふたりのクリスマス」

美緒のマンションのドアを開けると、前の部屋と同じ、甘く落ち着くいい匂いがした。

美緒が「おかえり」と、少し照れながら言った。

「ああ」

そう返し、コートを脱ごうとすると、美緒が手伝ってくれる。

コートをハンガーに掛けながら、美緒は

「コーヒー淹れますね」と言ってキッチンへ向かった。

カウンターの椅子に座り、その様子を眺めながら声をかける。

「なあ、明日の夜ご飯でも食べに行かないか?」

豆を挽く手が止まり、美緒は少し目を伏せた。

「……明日はクリスマスイブですよ」

小さな声だった。

「だから言ってるんじゃないか」

少しの間のあと、美緒は顔を上げる。

「大丈夫なんですか……?」

「うん。大丈夫だ」

それ以上、理由は言わなかった。

美緒も、何かを聞きかけて——やめた。

「それじゃ、私ご飯つくります。明日はこの部屋でクリスマスしましょう」

その表情は、どこか少しためらいを含んでいた。

けれど、それ以上に嬉しそうだった。

次の日、昼過ぎにマンションを出る。

「帰りにケーキ買ってくるから」

「はい、いってらっしゃい」

美緒は幸せそうに微笑み、軽く手を振った。

クリスマスの日、街はいつもより賑やかだった。

指定した時間に合わせて事務所の前に車を止めると、すぐに弘が出てきた。

後部座席の箱を降ろしながら言う。

「ケンタッキーとピザ、それとケーキが入ってる。女の子たちの分もあるからな」

「あーざす!」

弘は軽く頭を下げ、手際よく受け取っていく。

「初めてのクリスマスだしな」

そう言うと、弘は少しだけ笑った。

「兄貴、明日仕事終わる前に連絡しますね」

「ああ、分かってる。美緒にも言っておくから」

「了解っす!気を付けてくださいね」

荷物を渡し終え、軽く手を上げてその場を離れる。

バックミラーに映る弘の姿が、小さくなっていった。

部屋に戻ると、いつもより少しだけ華やいだ空気がある。

テーブルの上には美緒の手作り料理が並び、中央ではキャンドルがゆらゆらと揺れていた。

買ってきたケーキも、箱のままそっと置かれている。

「二人でクリスマスできると思ってなかったから、張り切っちゃいました」

照れたように笑う美緒に、曖昧に笑い返す。

「……今日は、時間あるんですよね……?」

少し間を置いて、そう聞いてくる。

コートを脱ぎながら、「ああ」とだけ答えた。

その短い返事に、美緒は小さく頷き、それ以上は何も聞かなかった。

「よかった」

その一言と一緒に見せた笑顔は、思っていたよりもずっと柔らかかった。

「そうだ」

ふと思い出したように、バッグに手を入れる。

小さな箱を取り出し、そのまま差し出した。

「これ」

「え……?」

一瞬きょとんとしたあと、美緒はゆっくりと受け取る。

「開けていい?」

「ああ」

箱を開けた瞬間、その表情がわずかに止まった。

中には、花水木の花をモチーフにしたネックレス。

——店と同じ名前の花だった。

「……綺麗」

小さく呟いたあと、嬉しそうに顔を上げる。

「ありがとう」

その笑顔は、さっきよりも少しだけ無防備だった。

「つけていい?」

「いいよ」

ネックレスを取り出し、少し手間取りながら首元に当てる。

「つけてあげるよ」

そう言って後ろに回ると、髪越しにわずかに伝わる体温が近い。

金具を留める指先に、ほんの少しだけ意識が向いた。

「どう?」

振り返った美緒は、どこか照れたように笑っていた。

「似合ってる」

そう答えると、美緒は嬉しそうに何度も頷いた。

穏やかな時間が、静かに流れていく。

美緒は時折ネックレスに触れながら、嬉しそうに笑っていた。

その様子を見ながら、グラスに手を伸ばす。

言おうと思えば、言えることはいくつもあった。

けれど、どれも口にはしなかった。

——それでもいいと思った。

時計に目を落とす。

秒針は変わらず、一定のリズムで時を刻んでいる。

隣で、美緒が静かに笑っていた。

窓の外では、公園のクリスマスツリーがゆっくりと点滅している。

その光は、どこかいつもより温かく、柔らかく見えた。

何も言わないまま、この夜は過ぎていく。

それでいいと思った。

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