コーヒーの香りが、静かな部屋にゆっくりと広がっていく。
カップにコーヒーを注ぎながら、頭の中を整理する。
届出のこと。
弘の名義。
そして、もうひと店舗。
届出制になれば、店の数は一気に増える。
今のやり方が、いつまでも通用するとは思えなかった。
大手の風俗店も、必ず参入してくる。
その中で生き残るには、新しいやり方が必要だった。
コーヒーを一口飲み、携帯電話を手に取る。
弘に連絡を入れた。
「兄貴、お疲れっす!」
「ああ、届出制のことで話があるんだ。店終わってから飯でも食いに行くか」
「了解っす!それじゃ、店終わる頃連絡するっす」
弘の声は、どこか弾んでいた。
午前二時前、弘から連絡が入った。
「兄貴、お疲れっす。今から動けるんで、どこに行けばいいっすか?」
「もう大丈夫なのか?」
「はい、女の子みんな仕事入ってるんで、あとは大介だけで大丈夫っす」
「そうか。それじゃ、いつものファミレスにするか」
「了解っす、今から向かいます」
ファミレスに着くと、弘が入口で待っていた。
二人で店に入り、一番奥の席に座る。
弘はすぐにメニューを開いた。
「兄貴、今月からステーキフェアやってるっすよ!俺ハンバーグにしようと思ってたけど、ステーキにしようかな」
「それじゃ、俺はナポリタン頼んでくれ」
弘はステーキセットのご飯大盛りと、カルボナーラを注文した。
注文を済ませると、弘はすぐに切り出した。
「月下美人の届出はどうするんすか?」
「届出することに決めた。名義は弘、お前にする」
「えっ、俺っすか?」
弘はキョトンとした顔をした。
「そうだ。嫌か?」
「いや!ぜんぜん嫌とかじゃないっすよ!兄貴が言うならやりますよ!でも、俺でいいんすか?」
少し戸惑いながらも、まっすぐに聞き返してくる。
「お前じゃないとダメなんだ。誰にでも任せられる話じゃない」
弘の目を見て言った。
「はい!分かったっす!」
その目に、迷いはなかった。
届出制に向けての準備や、これからの展開を一通り説明する。
そして、最後に奈緒のことを話した。
「届出制になったタイミングで、奈緒はスタッフとして入れる」
「えっ、奈緒ちゃんをですか?」
弘はステーキを切る手を止めて、こちらを見た。
「ああ」
それだけ答え、視線を逸らす。
ナポリタンを口に運ぶ。
「了解っす。それじゃ奈緒ちゃんも、こっち側の人間になるんすね」
弘の言葉に、何も返さなかった。
ただ、フォークを持つ手がわずかに止まる。
頭の中に、奈緒の顔が浮かんだ。
コーヒーの苦味が、まだ舌に残っている気がした。

コメント