106話「奈緒という選択」

コーヒーの香りが、静かな部屋にゆっくりと広がっていく。

カップにコーヒーを注ぎながら、頭の中を整理する。

届出のこと。

弘の名義。

そして、もうひと店舗。

届出制になれば、店の数は一気に増える。

今のやり方が、いつまでも通用するとは思えなかった。

大手の風俗店も、必ず参入してくる。

その中で生き残るには、新しいやり方が必要だった。

コーヒーを一口飲み、携帯電話を手に取る。

弘に連絡を入れた。

「兄貴、お疲れっす!」

「ああ、届出制のことで話があるんだ。店終わってから飯でも食いに行くか」

「了解っす!それじゃ、店終わる頃連絡するっす」

弘の声は、どこか弾んでいた。

午前二時前、弘から連絡が入った。

「兄貴、お疲れっす。今から動けるんで、どこに行けばいいっすか?」

「もう大丈夫なのか?」

「はい、女の子みんな仕事入ってるんで、あとは大介だけで大丈夫っす」

「そうか。それじゃ、いつものファミレスにするか」

「了解っす、今から向かいます」

ファミレスに着くと、弘が入口で待っていた。

二人で店に入り、一番奥の席に座る。

弘はすぐにメニューを開いた。

「兄貴、今月からステーキフェアやってるっすよ!俺ハンバーグにしようと思ってたけど、ステーキにしようかな」

「それじゃ、俺はナポリタン頼んでくれ」

弘はステーキセットのご飯大盛りと、カルボナーラを注文した。

注文を済ませると、弘はすぐに切り出した。

「月下美人の届出はどうするんすか?」

「届出することに決めた。名義は弘、お前にする」

「えっ、俺っすか?」

弘はキョトンとした顔をした。

「そうだ。嫌か?」

「いや!ぜんぜん嫌とかじゃないっすよ!兄貴が言うならやりますよ!でも、俺でいいんすか?」

少し戸惑いながらも、まっすぐに聞き返してくる。

「お前じゃないとダメなんだ。誰にでも任せられる話じゃない」

弘の目を見て言った。

「はい!分かったっす!」

その目に、迷いはなかった。

届出制に向けての準備や、これからの展開を一通り説明する。

そして、最後に奈緒のことを話した。

「届出制になったタイミングで、奈緒はスタッフとして入れる」

「えっ、奈緒ちゃんをですか?」

弘はステーキを切る手を止めて、こちらを見た。

「ああ」

それだけ答え、視線を逸らす。

ナポリタンを口に運ぶ。

「了解っす。それじゃ奈緒ちゃんも、こっち側の人間になるんすね」

弘の言葉に、何も返さなかった。

ただ、フォークを持つ手がわずかに止まる。

頭の中に、奈緒の顔が浮かんだ。

コーヒーの苦味が、まだ舌に残っている気がした。

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