奈緒の部屋は、前に来たときと変わらなかった。
けれど、そこにいる奈緒だけが、少し違って見えた。
「コーヒー淹れますね。弘さんからコーヒー好きって聞いたから、美味しそうな豆を買っておいたんです。」
そう言って奈緒はキッチンへ向かった。
部屋を見回すと、余計な物がないシンプルな空間だった。
前に来たときは気づかなかったが、小さな本棚には英語の辞書や、その関連の本が並んでいる。
奈緒がマグカップを二つ持って、私の前に座った。
一人暮らしだからかソファーは一つしかなく、奈緒はフロアクッションに向き合うように腰をおろした。
コーヒーの良い香りがリビングに広がる。
私はマグカップを手に取り、一口飲んだ。
「美味しいですか?」
奈緒は上目遣いで聞いた。
「うん、美味しいよ」
「良かったぁ。奮発して、少し高い豆にしたんです」
奈緒は微笑んで言った。
よく見ると、マグカップはお揃いだった。
私は、月下美人を届出して名義を弘にすること、
その届出を機に店のシステムや経営方針を変え、他店舗との差別化を図ることを話した。
この業界では女性スタッフがほとんどいない。
だから奈緒には、女性にしか出来ない役割を担ってほしい——そう伝えた。
奈緒は何かを噛みしめるように頷きながら聞いていた。
話が一通り終わると、奈緒は言った。
「私、頑張ります。」
迷いのない瞳だった。
私が何気なく時計を見ると、
「今日は、まだ時間大丈夫なんですか?」
奈緒は視線を外しながら聞いた。
「うん、時間は大丈夫だ」
そう返すと、奈緒は「それじゃあ、ちょっと」と言ってクローゼットから紙袋を取り出した。
「ジャケットがシワになるといけないから」
そう言って袋を開け、部屋着をそっと差し出した。
その少し寂しげな表情に、愛おしさがこみ上げる。
気づけば私は、奈緒を強く抱きしめていた。
奈緒は小さく息を漏らし、そのまま身をゆだねた。
目が覚めると、淡い間接照明の光が深夜の部屋を照らしていた。
奈緒が、そっと私の頬を撫でた。
「起きてたのか?」
「はい。ずっと起きてました。寝るのが、もったいなくて……」
そう言うと奈緒は身体を起こし、私の頭を自分の膝に乗せた。
「もう敬語はいいよ。二人のときは普通に喋れよ」
そう言いながら、恵美に同じような言葉を言われたことが頭をよぎった。
「うん。」
奈緒は私の髪に触れながら、小さく返事をした。
「そういえば、本当の名前はなんていうんだ?」
奈緒は少しだけ間を置いて、口を開いた。
「……美緒。白石美緒。」
「そうか。綺麗な名前だな。それじゃあ、今からは美緒だな」
「私は、何て呼べばいい?」
「直人でいいよ」
「分かった……直人……さん」
奈緒——美緒は私の隣に横になり、
私の顔を自分の腕の中へ引き寄せ、優しく包み込んだ。
その温もりの中で、私は静かに眠りに落ちていった。

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