シゲさんとの話も終わり、客も増え賑わってきたので店を出ることにした。
「また何かあれば、いつでも連絡しろよ」
店の前まで見送りに来てくれたシゲさんは、いつものように豪快な笑顔を浮かべていた。
「ありがとうございます。また相談させてもらいます」
私は頭を下げ、美緒と一緒にラ・カシーナを後にした。
マンションへ戻る車の中でも、シゲさんの話題は尽きなかった。
「シゲさん、本当にリトのこと信頼してるんだね」
助手席の美緒が穏やかに言う。
「うん。あそこまで言い切ってもらえると安心するよ」
「リトも喜ぶと思う」
私は小さく頷いた。
シゲさんの言葉は、これから進もうとしている道への大きな後押しになっていた。
翌朝、いつものように美緒に優しく起こされる。
朝食を済ませ、二人でソファーに座って今日の予定を話した。
「今日は午後から花水木の女の子の面接が入ってるの」
美緒はどこか嬉しそうに微笑んだ。
「そうなんだ。いい子だといいな」
「うん。楽しみ」
美緒とマンションを出たあと、私は恵美に連絡してマンションへ向かった。
エントランスを抜け、慣れた手つきで鍵を開ける。
ドアを開けた瞬間、ふわりと恵美の香りが漂った。
「早かったわね」
リビングへ入ると、ちょうどコーヒーを淹れ終えた恵美が、カップを二つ持ってキッチンから出てきた。
「うん、思ったより車が少なくて」
そう言いながら向かいのソファーへ腰を下ろし、バッグから伝票や領収書の束を取り出す。
すると恵美は苦笑しながら首を振った。
「もう細々したものはいいわよ」
「でも、お金のことはきちんとしないと」
私がそう言うと、恵美は優しく笑う。
「あなたのこと信用してるし、そんな関係でもないでしょ」
私は苦笑しながらも、伝票の束と売上金の入った封筒を差し出した。
恵美は封筒を手に取り、少し驚いたように私を見る。
「これ、いつもよりだいぶ多いんじゃない?」
「うん。届出をしてからネットを主体にしたら、思ったより反響が良くて売上も伸びてるんだ」
「すごいわね。ネット中心に切り替えたことで、今までとは違う客層も増えてるみたいだし」
恵美は感心したように頷いた。
「花水木と茉莉花の話はよく耳にするわよ。同業者はあなたのやり方が気になってるみたい」
その言葉に少し照れくさくなり、私はコーヒーを一口飲んだ。
すると恵美が何かを思い出したように口を開く。
「あっ、そうそう。柴崎君のことなんだけどね」
その表情は先ほどまでとは違い、少し真剣だった。
「今は正式にどこかの組に属してるわけじゃないみたいなの。もともとはある組にいたらしいんだけど、その組長さんがある事件で長期服役になって、組自体が自然消滅したらしいのよ」
私は黙って耳を傾ける。
そんな話は、陣さんから一度も聞いたことがなかった。
恵美はコーヒーを一口飲み、続けた。
「それでね……ちょっと良からぬ話も聞いたの」
「良からぬ話?」
「うん。ヤクザの世界で絶対にしちゃいけないことの一つに、人の女に手を出さないっていう暗黙のルールがあるの」
私は少し考えた。
「……つまり、人の女に手を出したって噂なのか?」
恵美はゆっくり頷く。
「そこまでは断言できないわ。あくまで噂だから。でも、そういう話が出ているのは事実みたい」
その瞬間、私の頭に由美さんの顔が浮かんだ。
あの日、陣さんが真剣な表情で口止めしたことも。
「それじゃ……同じ組の組員の彼女とかに手を出した可能性もあるってこと?」
恵美は小さく肩をすくめた。
「そこまでは分からないわ。でも、火のないところに煙は立たないとも言うでしょ」
私は静かに頷いた。
点と点が、少しずつ線になっていくような感覚があった。
「何か心当たりあるの?」
恵美が私の顔を覗き込む。
私は一瞬迷った。
しかし、由美さんのことはまだ話すべきではない。
そう思い、小さく首を振った。
「いや、ないよ」
恵美は私の様子を見つめたあと、静かに微笑んだ。
「また何か分かったら言うわね」
「ありがとう」
マンションを出たあとも、私の頭から陣さんの真剣な表情は離れなかった。
由美さん――。
あの日、陣さんがあれほど口止めした理由が、少しだけ見えた気がした。

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