175話「少しずつ、確実に」

朝、顔に触れる手の温もりと、耳元で優しく呼ぶ美緒の声で目が覚めた。

「直人さん、起きようか」

薄く目を開けると、美緒がベッドに座り小さく笑っていた。

カーテンの隙間から昼前の光が部屋へ入り込んでいる。

昨日の疲れがまだ身体に残っていた。

「……何時?」

「もうすぐお昼」

私は支えられながら身体を起こす。

美緒は、私の髪を優しく手で整えながら言う。

「今日、午後からエンジェルタッチ行ってくるね」

「集金?」

「うん。それと帰りに警察署寄って、届出制がいつ頃から受付なのか聞いてこようと思って」

私はその言葉に頷く。

届出制の話は、最近ずっと気になっていた。

営業の形を変える準備はもう出来ている。

「分かった。気を付けて」

「うん」

美緒はそう言うと、小さく笑った。

「そっちは?」

「うん、高梨社長に連絡入れたりかな」

「昨日、思った以上に売れたからね」

「ああ、次の分の補充しとかないとな」

「だね」

美緒は軽く頷くと、そのまま部屋を出る準備を始めた。

私は顔を洗いながら、昨日のことを思い出していた。

アクセサリー。

契約書。

売上金。

思っていた以上に、流れは動き始めている。

どこまで広がっていくのか。

でも、確実に昨日までとは違っていた。

昼過ぎ、私は茉莉花へ戻った。

玄関の扉を開けると早苗がすぐにリビングから出てきた。

「おかえり」

その声に、少しほっとする。

リビングに入ると店はもう動き出していて、里奈ちゃんや綾さんは送迎に出ていた。

「コーヒー淹れるから、先に二階へ行ってて」

早苗はそう言いながらキッチンへ向かった。

私は二階に上がり、いつものソファーに体を預けた。

しばらくすると早苗がコーヒーを持って部屋に入ってきた。

カップをテーブルに置き、隣に座りながら思い出したように言った。

「あっ、さっき由美さんから連絡あったよ」

私はその言葉に体を起こす。

「陣さんは?」

「変わりないって。月一で面会行ってるみたい」

早苗は静かに続けた。

「面会は友達が車出してくれてるから、心配しないでくださいって言ってた」

私は小さく頷く。

陣さんが刑務所に行ってからも、時間だけは普通に流れていく。

忘れていたわけじゃない。

頭の隅のどこかに、いつも残っている。

少し間を空けてから、私は昨夜の話をした。

「昨日、結構売れたよ」

「アクセサリー?」

「うん。思ってたより動いたよ」

早苗は少し驚いたように目を丸くする。

「そんなに?」

「リトの人柄と人脈が大きいね。これからタレント同士で広がっていく感じがする」

そう言いながら、私は昨夜の空気を思い出す。

楽しそうにアクセサリーを選ぶタレントたち。

自然に輪の中心へ入っていくリト。

そして契約書と売上金。

「この前、早苗が言ってた茉莉花の女の子たちにも販売する話あっただろ。今度それに合わせたアクセサリーも仕入れてみようと思うんだ」

その言葉に、早苗は頷く。

「うん。絶対好きな子いると思う」

「タレントたちと違って、茉莉花の女の子たちは日払いだろ」

私はコーヒーを一口飲んで続ける。

「だから販売は、早苗に任せるよ」

「分かった。それじゃこの間言っていたアクセサリーを揃えてね」

早苗は少し嬉しそうに微笑んだ。

私は携帯を取り出し、高梨社長へメールを送る。

フィリピン人向けのアクセサリーに加えて、日本人の若い女の子向けの商品も見てみたいこと。

送信ボタンを押すと、小さく息をついた。

少しずつ。

でも、確実に広がり始めている。

夕方頃、美緒からメールが入る。

『今から、家に戻ります』

私はそのメールを見ながら、窓の外へ目を向けた。

空はもう薄暗くなり始めていた。

夜、美緒のマンションへ戻る。

部屋へ入ると、美緒はソファへ座りながらコートを脱いでいた。

「おかえり」

「ただいま」

私は隣へ腰を下ろす。

「どうだった?」

そう聞くと、美緒は少し疲れたように息をついた。

「届出制、二月から受付始まるみたい。でも日付までは、まだはっきり分からないって言ってたよ」

「そうなんだ」

「うん。二月入ったらまた警察署に電話してみるね」

美緒は小さく微笑む。

「必要書類は、もう揃ってるし大丈夫だと思う」

そう言って、美緒はバッグの中から領収書や現金の入った封筒を取り出す。

手帳を広げ、エンジェルタッチの集金の整理をしていく。

私はそんな美緒を見ながら、ぼんやりと考える。

アクセサリー販売。

届出制の受付が始まる事。

そして……頭の片隅にある陣さんのこと。

昨日から、色んなものが少しずつ動き始めている。

まだ先は見えていない。

でも今は、その流れの中を進んでいくしかなかった。

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