綾さんの運転する車を見送ったあと、私は一人で車へ乗り込んだ。
玄関先に残っていた賑やかな空気も、ドアを閉めると急に遠くなる。
エンジンをかける前に携帯を見る。
弘、大介、美咲――。
「あけましておめでとうございます」
そんなメールが何通か届いていた。
思わず小さく笑う。
私はそのまま車を走らせ、月下美人の事務所へ向かった。
事務所のあるマンションの周りは、普段より少しだけ空気が浮ついていた。
遠くで聞こえる笑い声。
走っていくタクシー。
それでも、街全体は深夜らしい静けさに包まれている。
車を停めると、ちょうど弘がマンションの入口から出てきた。
「あ、兄貴お疲れっす! あけおめっす!」
「おぉ、おめでとう」
私は窓を開け、小さな袋を弘へ渡す。
「お年玉だ。
これはお前と大介と美咲、それと女の子達の分」
「え、マジっすか?」
弘は少し驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。
「あーざす、絶対みんな喜ぶっすよ」
「あとで渡しといて」
「了解っす」
マンションの入口が開くたび、中から小さく笑い声が漏れてくる。
たぶん、まだ誰かが騒いでいるんだろう。
私はその光景を見ながら携帯を開いた。
美緒からのメールが残っている。
『22時30分頃にマンションへ戻ります』
短い文章だった。
でも、美緒らしかった。
「今から行く」
短く返信して携帯を閉じる。
「じゃあ、またあとで顔出すわ」
「了解っす!」
弘が頭を下げる。
私は静かな夜道へ車を走らせた。
マンションへ着いた頃には、街の空気も少し落ち着き始めていた。
それでも遠くでは、まだどこか浮かれたようなクラクションや笑い声が聞こえてくる。
私は車を降り、冷たい夜気の中をエントランスへ向かった。
エレベーターへ乗り込む。
静かな箱の中で、年が明けた実感だけが妙に薄かった。
美緒の部屋の前まで来ると、下の隙間から柔らかい灯りが漏れている。
インターホンを押す前に、ドアが開いた。
「……おかえり」
美緒だった。
少し眠そうな目。
部屋着の上に薄いカーディガンを羽織っている。
「起きてたのか」
「寝るわけないでしょ」
そう言いながら、美緒は少し笑った。
部屋へ入ると、暖房の温かい空気と、お節の匂いがふわりと漂ってくる。
テーブルの上には、簡単なお節料理と湯気の立つお茶が用意されていた。
「月下美人は?」
「顔だけ出してきた。弘達、まだ騒いでたみたいだ」
「そっか」
美緒は静かにお茶を差し出す。
私はソファへ腰を下ろした。
テレビでは小さな音で年始の特番が流れていた。
静かな部屋だった。
でも、その空気が妙に落ち着く。
私は湯呑みを持ちながら、美緒を見る。
「……待ってたのか?」
美緒は少しだけ視線を逸らした。
「別に」
そう言ってから、小さく付け加える。
「待たなくても大丈夫だし」
その言い方が、美緒らしくて思わず笑ってしまう。
「何だよそれ」
「だって、ちゃんと来たでしょ」
美緒も少し笑った。
そのあと、短い沈黙が落ちる。
外では遠くで救急車のサイレンが聞こえていた。
年が変わっても、街は止まらない。
私はソファにもたれた。
すると、美緒が静かに隣へ座り肩へ寄りかかってきた。
「……今年も忙しくなりそうだね」
「あぁ、たぶんな」
「でも去年よりは、安心してる」
私はその言葉に、美緒を見る。
美緒は私の肩へ寄りかかったまま、小さく笑っていた。
私はその髪をそっと撫でる。
美緒は小さく目を閉じ、少しだけこちらへ身体を寄せた。
近い距離だった。
暖房の温かさ。
柔らかい灯り。
静かな部屋。
私はそのまま美緒の頬へ触れ、ゆっくり唇を重ねる。
美緒は小さく息を漏らしながら、服を掴む指先に力を入れた。
唇を離しても、美緒は離れなかった。
むしろ、額を寄せたまま静かに笑う。
「……こういうお正月、初めてかも」
「ん?」
「誰かと、普通に過ごすの」
私はその言葉に、美緒を見る。
美緒は少し照れたように笑った。
「今までは仕事だったり、一人だったりしたし」
静かな声だった。
でも、その言葉は妙に胸へ残った。
私は美緒をそっと抱き寄せる。
すると美緒は抵抗する事なく、自然に胸へ身体を預けてきた。
「じゃあ今年は、少しは正月らしいな」
「……うん」
美緒は小さく頷いたあと、こちらを見上げる。
その目が、いつもより少し甘く見えた。
私はもう一度、美緒へ唇を重ねる。
今度はさっきより長く、深く。
美緒の腕が静かに背中へ回る。
外では遠くに、まだ年明けの騒がしさが残っていた。
でも、この部屋だけは別の時間みたいに静かだった。

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