162話「年明けの灯り」

綾さんの運転する車を見送ったあと、私は一人で車へ乗り込んだ。

玄関先に残っていた賑やかな空気も、ドアを閉めると急に遠くなる。

エンジンをかける前に携帯を見る。

弘、大介、美咲――。

「あけましておめでとうございます」

そんなメールが何通か届いていた。

思わず小さく笑う。

私はそのまま車を走らせ、月下美人の事務所へ向かった。

事務所のあるマンションの周りは、普段より少しだけ空気が浮ついていた。

遠くで聞こえる笑い声。

走っていくタクシー。

それでも、街全体は深夜らしい静けさに包まれている。

車を停めると、ちょうど弘がマンションの入口から出てきた。

「あ、兄貴お疲れっす! あけおめっす!」

「おぉ、おめでとう」

私は窓を開け、小さな袋を弘へ渡す。

「お年玉だ。

これはお前と大介と美咲、それと女の子達の分」

「え、マジっすか?」

弘は少し驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。

「あーざす、絶対みんな喜ぶっすよ」

「あとで渡しといて」

「了解っす」

マンションの入口が開くたび、中から小さく笑い声が漏れてくる。

たぶん、まだ誰かが騒いでいるんだろう。

私はその光景を見ながら携帯を開いた。

美緒からのメールが残っている。

『22時30分頃にマンションへ戻ります』

短い文章だった。

でも、美緒らしかった。

「今から行く」

短く返信して携帯を閉じる。

「じゃあ、またあとで顔出すわ」

「了解っす!」

弘が頭を下げる。

私は静かな夜道へ車を走らせた。

マンションへ着いた頃には、街の空気も少し落ち着き始めていた。

それでも遠くでは、まだどこか浮かれたようなクラクションや笑い声が聞こえてくる。

私は車を降り、冷たい夜気の中をエントランスへ向かった。

エレベーターへ乗り込む。

静かな箱の中で、年が明けた実感だけが妙に薄かった。

美緒の部屋の前まで来ると、下の隙間から柔らかい灯りが漏れている。

インターホンを押す前に、ドアが開いた。

「……おかえり」

美緒だった。

少し眠そうな目。

部屋着の上に薄いカーディガンを羽織っている。

「起きてたのか」

「寝るわけないでしょ」

そう言いながら、美緒は少し笑った。

部屋へ入ると、暖房の温かい空気と、お節の匂いがふわりと漂ってくる。

テーブルの上には、簡単なお節料理と湯気の立つお茶が用意されていた。

「月下美人は?」

「顔だけ出してきた。弘達、まだ騒いでたみたいだ」

「そっか」

美緒は静かにお茶を差し出す。

私はソファへ腰を下ろした。

テレビでは小さな音で年始の特番が流れていた。

静かな部屋だった。

でも、その空気が妙に落ち着く。

私は湯呑みを持ちながら、美緒を見る。

「……待ってたのか?」

美緒は少しだけ視線を逸らした。

「別に」

そう言ってから、小さく付け加える。

「待たなくても大丈夫だし」

その言い方が、美緒らしくて思わず笑ってしまう。

「何だよそれ」

「だって、ちゃんと来たでしょ」

美緒も少し笑った。

そのあと、短い沈黙が落ちる。

外では遠くで救急車のサイレンが聞こえていた。

年が変わっても、街は止まらない。

私はソファにもたれた。

すると、美緒が静かに隣へ座り肩へ寄りかかってきた。

「……今年も忙しくなりそうだね」

「あぁ、たぶんな」

「でも去年よりは、安心してる」

私はその言葉に、美緒を見る。

美緒は私の肩へ寄りかかったまま、小さく笑っていた。

私はその髪をそっと撫でる。

美緒は小さく目を閉じ、少しだけこちらへ身体を寄せた。

近い距離だった。

暖房の温かさ。

柔らかい灯り。

静かな部屋。

私はそのまま美緒の頬へ触れ、ゆっくり唇を重ねる。

美緒は小さく息を漏らしながら、服を掴む指先に力を入れた。

唇を離しても、美緒は離れなかった。

むしろ、額を寄せたまま静かに笑う。

「……こういうお正月、初めてかも」

「ん?」

「誰かと、普通に過ごすの」

私はその言葉に、美緒を見る。

美緒は少し照れたように笑った。

「今までは仕事だったり、一人だったりしたし」

静かな声だった。

でも、その言葉は妙に胸へ残った。

私は美緒をそっと抱き寄せる。

すると美緒は抵抗する事なく、自然に胸へ身体を預けてきた。

「じゃあ今年は、少しは正月らしいな」

「……うん」

美緒は小さく頷いたあと、こちらを見上げる。

その目が、いつもより少し甘く見えた。

私はもう一度、美緒へ唇を重ねる。

今度はさっきより長く、深く。

美緒の腕が静かに背中へ回る。

外では遠くに、まだ年明けの騒がしさが残っていた。

でも、この部屋だけは別の時間みたいに静かだった。

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