脱衣所から、湯の音が聞こえていた。
前と同じで明かりは消え、ドアの向こうはキャンドルの灯りだけが揺らいでいる。
「入っていいよ」
美緒の声は、湯気に溶けるみたいに柔らかかった。
ドアを開けると、ふわっとした熱気とアロマの甘い香りが流れ込んでくる。
視線を上げると、キャンドルに照らされた美緒がこちらを見て小さく微笑んだ。
「寒かったでしょ」
「ああ、外は結構冷えてたな」
そんな何気ない会話を交わしながら、湯船に身体を沈める。
湯気と白濁したお湯が、美緒の肌を柔らかくぼかし、濡れたうなじの艶に少し息が詰まる。
じんわりと広がる熱の中で、すぐ前にある肩に後ろからそっと手をまわすと、そのまま身を預けてくる。
背中越しに伝わる体温に、ほんの少しだけ意識が上がった。
しばらくは、ただ湯の音だけが響いていた。
「ねえ、洗ってあげる」
不意にそう言われて、少しだけ目を向ける。
「いいのか?」
「うん。前もやったでしょ」
軽く笑いながら言うその声に、自然と身体を預けた。
背中に触れる手は、思っていたよりもやわらかい。
泡の感触と一緒に、ゆっくりと撫でるように動いていく。
言葉はほとんどないのに、触れられるたびに距離が縮まっていくのが分かる。
髪を洗う時も同じだった。
指先が頭皮をなぞるたびに、力が抜けていく。
湯気の中で、時間の感覚が少し曖昧になる。
「流すね」
静かな声とともに、温かい湯が頭を伝う。
目を閉じたまま、その感触に身を任せた。
———
風呂から上がると、まだ身体に熱が残っていた。
タオルを取ろうとしたとき、
「いいよ」と美緒が先に動く。
さっと身体を拭かれる感触に、思っていたより距離が近くて、少しだけ息が止まる。
それでも何も言わずに、されるがままに任せた。
その流れのまま、椅子に座らされる。
「はい、じっとしてて」
ドライヤーの音が静かに響く。
髪を乾かす手つきは、さっきまでよりも少しだけラフで、それでもどこか丁寧だった。
指が髪の間を通るたびに、また少しだけ意識が遠のく。
———
ベッドに入ると、美緒が自然に膝を叩いた。
「おいで」
言われるままに頭を乗せる。
「耳、やってあげる」
ミミクリンのいい匂いと、耳に触れる少し冷たい感触。
そのひとつひとつが妙に心地いい。
さっきまでの熱とは違う、ゆるやかな温度に包まれていく。
「動かないでね」
「……ああ」
短く返した声も、どこかぼやけていた。
耳掃除が終わる頃には、身体の力はほとんど抜けていた。
「次、これ」
甘い香りがふわっと広がる。
手や足に、ゆっくりと塗り込まれていくボディバター。
指先が滑るたびに、さっきまでの余韻がまた戻ってくる。
マッサージするように、丁寧に。
何も急がず、ただ時間だけが流れていく。
「気持ちいい?」
小さく聞かれて、少し遅れて答える。
「……ああ」
それ以上、言葉は続かなかった。
瞼が重くなっていく。
指先の感触も、香りも、すべてがゆっくりと遠のいていく。
「寝ちゃいそうだね」
どこか楽しそうな声が、かすかに聞こえた。
「……ちょっとだけ」
そう答えたつもりだったが、もう自分でもはっきり分からない。
最後に感じたのは、髪に触れるやわらかな手の感触だった。
そのまま、意識は静かに落ちていった。

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