154話「ほどける夜」

脱衣所から、湯の音が聞こえていた。

前と同じで明かりは消え、ドアの向こうはキャンドルの灯りだけが揺らいでいる。

「入っていいよ」

美緒の声は、湯気に溶けるみたいに柔らかかった。

ドアを開けると、ふわっとした熱気とアロマの甘い香りが流れ込んでくる。

視線を上げると、キャンドルに照らされた美緒がこちらを見て小さく微笑んだ。

「寒かったでしょ」

「ああ、外は結構冷えてたな」

そんな何気ない会話を交わしながら、湯船に身体を沈める。

湯気と白濁したお湯が、美緒の肌を柔らかくぼかし、濡れたうなじの艶に少し息が詰まる。

じんわりと広がる熱の中で、すぐ前にある肩に後ろからそっと手をまわすと、そのまま身を預けてくる。

背中越しに伝わる体温に、ほんの少しだけ意識が上がった。

しばらくは、ただ湯の音だけが響いていた。

「ねえ、洗ってあげる」

不意にそう言われて、少しだけ目を向ける。

「いいのか?」

「うん。前もやったでしょ」

軽く笑いながら言うその声に、自然と身体を預けた。

背中に触れる手は、思っていたよりもやわらかい。

泡の感触と一緒に、ゆっくりと撫でるように動いていく。

言葉はほとんどないのに、触れられるたびに距離が縮まっていくのが分かる。

髪を洗う時も同じだった。

指先が頭皮をなぞるたびに、力が抜けていく。

湯気の中で、時間の感覚が少し曖昧になる。

「流すね」

静かな声とともに、温かい湯が頭を伝う。

目を閉じたまま、その感触に身を任せた。

———

風呂から上がると、まだ身体に熱が残っていた。

タオルを取ろうとしたとき、

「いいよ」と美緒が先に動く。

さっと身体を拭かれる感触に、思っていたより距離が近くて、少しだけ息が止まる。

それでも何も言わずに、されるがままに任せた。

その流れのまま、椅子に座らされる。

「はい、じっとしてて」

ドライヤーの音が静かに響く。

髪を乾かす手つきは、さっきまでよりも少しだけラフで、それでもどこか丁寧だった。

指が髪の間を通るたびに、また少しだけ意識が遠のく。

———

ベッドに入ると、美緒が自然に膝を叩いた。

「おいで」

言われるままに頭を乗せる。

「耳、やってあげる」

ミミクリンのいい匂いと、耳に触れる少し冷たい感触。

そのひとつひとつが妙に心地いい。

さっきまでの熱とは違う、ゆるやかな温度に包まれていく。

「動かないでね」

「……ああ」

短く返した声も、どこかぼやけていた。

耳掃除が終わる頃には、身体の力はほとんど抜けていた。

「次、これ」

甘い香りがふわっと広がる。

手や足に、ゆっくりと塗り込まれていくボディバター。

指先が滑るたびに、さっきまでの余韻がまた戻ってくる。

マッサージするように、丁寧に。

何も急がず、ただ時間だけが流れていく。

「気持ちいい?」

小さく聞かれて、少し遅れて答える。

「……ああ」

それ以上、言葉は続かなかった。

瞼が重くなっていく。

指先の感触も、香りも、すべてがゆっくりと遠のいていく。

「寝ちゃいそうだね」

どこか楽しそうな声が、かすかに聞こえた。

「……ちょっとだけ」

そう答えたつもりだったが、もう自分でもはっきり分からない。

最後に感じたのは、髪に触れるやわらかな手の感触だった。

そのまま、意識は静かに落ちていった。

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