149話「並んだ服」

茉莉花の事務所を出て、ポケットの中の携帯を取り出す。

見ると美緒からメールがきていた。

『終わったよ』

短い一文。

それだけなのに、さっきまでの空気が、少しだけ遠くなる。

『あとで行く』と返信して携帯を閉じポケットにしまった。

冷たい空気が、頬に触れる。

車に乗りエンジンをかけた。

ドアを開けると、部屋の中は暖かかった。

「おかえり」

キッチンの方から、美緒の声がする。

「早かったな」

「うん、思ったよりね」

そう言って振り向いた美緒は、少しだけラフな格好をしていた。

肩の力が抜けた、その感じが妙に目に残る。

「コーヒー、飲む?」

「うん」

自然にそう返して、ソファに腰を下ろす。

カップに注がれる音と、静かな時間。

そのどちらもが、朝と似ていた。

美緒が自然と隣に座る。

いつもより距離は近い。

「今日、どうだった?」

「いつも通りだよ」

自分でも、そう思おうとしているような言い方だった。

短いやり取り。

それでも、どこか落ち着く。

カップに口をつけると、朝と同じ味がした。

なのに、どこか違って感じた。

「やっぱり美味いな」

そう言うと、美緒が少しだけ笑う。

「でしょ?」

そのまま、少しだけ沈黙が落ちる。

不思議と、気まずさはなかった。

「ねえ」

美緒が小さく声をかける。

「ん?」

「今日は」

言いかけて、少しだけ言葉を止める。

「……やっぱりいい」

そう言って、視線を外した。

「なんだよ」

「なんでもない」

軽く笑う。

けれど、そのまま終わらない空気が残る。

少しだけ身体を預けるようにして、美緒が身体を寄せてくる。

肩が触れる。

それだけなのに、さっきまでよりも体温を強く感じた。

「どうした?」

「嫌?」

小さく聞かれる。

「いや」

そう答えると、美緒はそのまま動かなかった。

けれど、離れる気配もない。

指先が、わずかに触れる。

ほんの一瞬。

それだけで、空気が変わる。

言葉にするほどのことじゃないのに、

戻ることもできない気がした。

指先が触れたまま、どちらも離れなかった。

ほんのわずかな接触なのに、そこだけ熱を持っているみたいだった。

美緒がゆっくりとこちらを見る。

視線が合う。

何かを確かめるような、静かな間。

そのまま、美緒の方から少しだけ顔を近づけてくる。

避ける理由はなかった。

それでも、自分から動こうとはしていないことに気づく。

ほんのわずかな距離。

触れるか、触れないか。

その境目で、時間が止まったみたいだった。

「……直人さん」

小さな声。

確認というより、確かめるような響き。

「美緒」

短く答える。

それだけで十分だった。

次の瞬間、唇が触れる。

触れる、というより確かめるように。

一度離れて、また触れる。

さっきまでの距離とは、もう違っていた。

美緒の指が、そっと腕に触れる。

引き寄せるように、少しだけ力が入る。

そのまま、もう一度。

今度はさっきよりも長く。

何も言葉はなかった。

それでも、十分に伝わっていた。

やがて、わずかに離れる。

近いままの距離で、息だけが残る。

「……近いね」

美緒が小さく笑う。

「今さらだろ」

そう返すと、また少しだけ距離が縮まる。

さっきまでとは違う意味で、離れられない気がした。

ふと視線を外すと、部屋の端に置いた紙袋が目に入る。

持ってきたまま、まだそのままにしていた。

「それ、なに?」

美緒が覗き込む。

「ああ、ちょっと着替えとか」

そう言って立ち上がる。

「置いとこうと思ってな」

クローゼットを開けると、美緒も隣に来た。

「こっち使っていいよ」

そう言いながら、自分の下着や服が入っている引き出しを開ける。

迷いなく、その中に少しスペースを作った。

俺のシャツや下着を、その隣に並べていく。

丁寧というより、自然な手つきだった。

シャツやジャケットはハンガーにかけ、美緒の洋服の横に並んだ。

「これでいいね」

嬉しそうに、小さく笑う。

「ああ」

短く返す。

それ以上、何も言わなかった。

引き出しが閉まる。

その音が、やけに静かに残った。

「ね」

振り返ると、すぐ近くに美緒がいた。

「今日も…泊まれるんだよね?」

確認するような声。

前なら、「時間あるの?」と聞いていたはずだった。

「ああ」

短く答える。

それだけで、美緒の表情が少し柔らいだ。

「よかった」

小さくそう言って、腕を絡めてくる。

自然な動きだった。

そのまま引かれるようにして、ベッドの方へと歩く。

「ちょっとだけ、こっち」

軽く押されるようにして腰を下ろすと、美緒が隣に座る。

肩が触れる。

さっきよりも、迷いがない。

「あのね」

ぽつりと呟く。

「私から、こうしてみたかったの」

少しドキッとする。

「そうか」

「うん。」

そう言って、くすっと笑う。

そのまま、ゆっくりと身体を預けてくる。

今度は、ちゃんと受け止める。

腕を回すと、美緒が少しだけ力を抜いた。

「こういうの、好き」

小さな声。

「ああ」

それ以上の言葉は出なかった。

美緒が顔を上げる。

目が合う。

さっきよりも、迷いはなかった。

自然に距離が縮まる。

今度は、自分から少しだけ近づく。

触れるだけじゃなく、確かめるように。

美緒が応える。

そのまま、ゆっくりと深くなっていく。

指先が絡む。

呼吸が重なる。

さっきまでの静けさとは違う、柔らかい熱が広がる。

離れたあとも、距離は近いままだった。

「ね」

美緒が小さく笑う。

「今日は、ずっと一緒にいようね」

「ああ」

今度は、さっきよりも自然に頷けた。

そのままもう一度、引き寄せる。

考えるより先に、身体が動いていた。

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