マンションのドアを開けると、早苗が玄関まで走ってきた。
「おかえりー!ねぇ、ちょっと来て」
そう言って、私の袖を軽く引く。
「どうした?」
靴を脱ぐ間もなく、そのままリビングへ引っ張られた。
ソファーに座ると、早苗もすぐ隣に腰を下ろす。
テーブルの上には、開いたノートとペン、それに辞書が並んでいた。
「この名前、いいと思わない?」
早苗はノートを差し出した。
そこには「茉莉花」と書かれていて、赤いペンで丸がつけられている。
「“まつりか”って読むの。ジャスミンの花」
嬉しそうに、少しだけ声を弾ませる。
「白くて、いい香りでさ」
そう言って、ノートを胸に抱えた。
「店の名前、“茉莉花”にしようと思うの」
「うん、すごくいいと思うよ」
「でしょ?それに月下美人は夜の花で、繋がりもあるし」
早苗は楽しそうに笑った。
「あ、そうだ。里奈って覚えてる?」
一瞬考えていると、早苗が肩を軽く叩いた。
「ほら、プールバーで働いてた高橋里奈。一緒に行ったじゃない」
「ああ、あの里奈ちゃんか。懐かしいな」
「この前会ってさ。話したら、手伝いたいって」
早苗はテーブルの上を片付けながら言った。
「今、あなたと一緒にいるって言ったら、すごく会いたがってたよ。仕事の話もあるし、今度三人でご飯行こうよ」
「そうだな、久しぶりに会ってみたいな」
「うん、絶対喜ぶと思う」
そう言って立ち上がると、キッチンの方へ向かう。
「あ、コーヒー淹れてくるね」
一人になったリビングで、私はさっきの言葉を思い出していた。
“茉莉花”。
白くて、やわらかい香り。
そのイメージと一緒に、
美緒のあの笑顔が、ふっと浮かんだ。


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