109話「知ってしまった理由」

美緒のマンションを出ると、まだ暑さが残る中にも、少しずつ涼しさや秋の気配が感じられた。

私は車に乗り込み、携帯を取り出してエンジェルタッチの藤本に連絡を入れた。今から店に行くことを伝える。

エンジェルタッチに話を通しておく必要があった。

集金は、今日から美緒に任せる。

信頼しているから、というのもあるが――

それ以上に、美緒を中途半端なまま店に置いておく気にはなれなかった。

アクセルを踏み込みながら、ふと昨夜のことを思い出す。

「それじゃ今日からは美緒だ」

あのときの表情が、妙に頭に残っていた。

車を止めてドアを開けると、見慣れたパステルカラーの看板が目に入る。

エンジェルタッチ。

ドアを開けて店に入ると、すぐに藤本が奥から出てきた。

「直人さん、何かあったんですか?」

そう言いながら、奥の事務所へ案内される。

「コーヒーでいいですか?」

「はい」

私はそう答え、事務所のソファーに腰を下ろした。

藤本が紙コップに入ったコーヒーを二つ持ってきて、向かいのソファーに座る。

そのタイミングで口を開いた。

「こちらの集金のことなのですが、次回から白石美緒が担当することになりました」

「白石、美緒……ああ、美緒ちゃんですね」

藤本は一瞬だけ考え込むような表情を見せたが、すぐに頷いた。

「はい。LINK CORPORATIONで働くことになったので」

「そうですか。それは良かったです。直人さんのところなら安心ですね」

藤本は、ほっとしたような顔をした。

少しの間を置いて、コーヒーを一口飲む。

「美緒ちゃんは……」

そこで一度、言葉を切った。

「若いのに、苦労してるというか……可哀想な子なんですよ」

私は何も言わず、藤本の次の言葉を待った。

「いや、まぁ……直接聞いたわけじゃないんですけどね」

少しだけ苦笑いを浮かべる。

「ウチで知り合って仲が良くなった子がいて、その子から聞いた話なんですけど……」

藤本は視線を落としながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

「母子家庭で育ったらしくて……大学卒業前に、お母さんも亡くなったみたいで」

一度、言葉が途切れる。

「奨学金の返済もあったらしくて……それに、留学したいっていう夢もあったみたいで」

小さく息をついた。

「そのために、この仕事を始めたって話でした」

私は最後まで、何も言わずに聞いていた。

エンジェルタッチを出て、車に乗り込む。

シートに深くもたれかかり、しばらく天井を見上げた。

いつも明るく振る舞っている美緒に、そんな過去があったとは思いもしなかった。

私は、美緒の人生を変えてしまうことが、いいのか悪いのか分からなかった。

それでも――

朝、嬉しそうに笑っていた顔が、頭から離れなかった。

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