翌日、部屋にはスパイスの香りが残っていた。
昨夜のバターチキンカレーの匂いだ。
早苗はいつも通りで、何も変わらない朝だった。
だが、私の中だけが少し違っていた。
早苗はコーヒーを淹れ、朝食の準備をしている。
私はソファーに横になり、天井を見上げながらぼんやりと陣さんの言ったことを思い出していた。
それは拘置所にいるときに、陣さんが何気なく言ったことだ。
「お前とは、兄と弟みたいなもんだ。
だから、俺のことは兄ちゃん分と思っていいぞ。
俺はお前のこと舎弟と思ってるからな」
陣さんは、いつもの冗談口調で言って笑っていた。
私も軽く「はい」と笑って返した。
そのときは、深く考えなどしなかった。
冗談の延長ぐらいにしか思っていなかったが、昨日の由美さんからの電話で、急に現実味を帯びてきた。
あの何気ない私の「はい」という返事が、後々やっかいなことになるのではないかと感じた。
ヤクザ映画で聞いたセリフ、
「吐いた唾飲まんとけよ」
という言葉が頭をよぎった。
そんなことを考えていると、携帯が鳴り、手に取って画面を見ると弘からだった。
「どうした?」
「兄貴、いま大丈夫っすか?」
「ああ。大丈夫だ、何かあったのか?」
「LINKの方のことなんすけど、ちょっと話があるんすよ」
弘の声のトーンからトラブルとかではなさそうだったので、後で会うように段取りして電話を切った。
昼過ぎにマンションを出て弘に連絡を入れ、待ち合わせをした。
約束の時間を三十分過ぎても、弘は現れなかった。
しばらくして、ようやく弘の車が駐車場に入ってきた。
「兄貴、遅くなってすいません。女の子の送迎が被っちゃって、大介ひとりじゃ間に合わなくて、自分も送迎に出てたもんすから」
弘は車のドアを開け、乗り込みながら早口で喋った。
「そりゃ、仕方ない。忙しいのはいいことだからな」
「はい!月下美人の方はバッチリっすから!」
「ところで、LINKの方の話って?」
「あっ、そうそう。あのですね、うちの店の奈緒ちゃんの知り合いに、金借りたいって人間がいるらしいんすよ。
どうやら、闇金みたいなところから借りてるらしくて、金利だけで大変みたいなんすよ」
弘の話によると、うちで働いている奈緒が以前箱ヘルで働いていて、その店の経営者が金を貸してくれるところを探しているとのことだった。
まだ詳しいことは弘も聞いてないらしく、とりあえず私に話を持ってきたとのことだった。
「奈緒は、今日出勤してるのか?」
「はい!夕方から出勤になってるっす!」
「それじゃ、話を詳しく聞いておけ。店が終わってからまた落ち合おう」
「了解っす!あっ、兄貴すいません。送迎の時間なんで俺行くっすね」
弘は時計を見て、慌てて車から飛び出して行った。
急発進で駐車場を出ていく弘の車を、私はただ眺めていた。
どこからか蝉の鳴く音が聞こえ、夏本番だと思った。
闇金という言葉に、LINKもこれからが本番だなと感じた。

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