「兄貴、俺は兄貴の指示通りにすればいいんすよね」
弘はそう言い、視線を上に向けながら考えている。
「うん、昨日話した通りだ。お前は俺が指示したことをやればいい」
「わかりました、了解っす」
弘は少し安心したのか、私を見てにっこりと笑った。
江崎さんの店へ向かう前、車の中で最終の打ち合わせをしていた。
「藤乃屋の経営者って江崎って名前だったんすね。
しかし兄貴が藤乃屋と繋がりあったなんて意外っす。藤乃屋は置き屋だけど、若い子揃えてるって評判いいっすもんね」
弘は腕を組んで頷いた。
「お前、置き屋のことまで詳しいな」
「前に言ったじゃないっすか。この街の風俗業界のこと、少しは知ってるつもりなんで。任せてくださいよ」
誇らしげな顔でそう言った。
「それじゃ、そろそろ行くか」
私は車の時計を見て言った。
「藤乃屋っすね。場所は分かってるっす」
弘はハンドルを握り、車を走らせた。
車内には、江崎さんと女の子たちに買った大判焼きの甘い匂いが漂っている。
私は手に抱えた、六百五十万の入った紙袋の重さを確かめた。
藤乃屋には、約束の十五分ほど前に着いた。
店の前に立ち、改めて藤乃屋を眺める。
紫色の看板に白で“藤乃屋”と描かれており、控えめにひっそりと佇んでいた。
夜になり灯りが入れば、昼間とは違う妖艶な雰囲気を醸し出すのだろう。
玄関を開けると、いつものブザーが鳴る。
だが今日は、いつもの静けさはなかった。
女の子たちの話し声や笑い声が、奥から聞こえてくる。
「すいませーん」
声をかけると、
「村上さんかい?上がっておくれ」
奥から江崎さんの声がした。
「おい、行くぞ」
「うっす」
弘は少し緊張しているようだった。
「失礼します」
そう言い、弘と廊下の奥の部屋へ向かう。
途中、女の子たちの待機部屋の前を通り過ぎた。
襖越しでも、複数人いる気配がはっきりと伝わってくる。
部屋に入り、弘を紹介した。
「自分のところにいる石田弘です。これから毎日の集金に伺うので、よろしくお願いします」
「石田弘です、よろしくお願いします!」
弘は気をつけの姿勢で頭を下げた。
「村上さんとこの弘君ね。分かったから、中に入って座りな」
江崎さんは、廊下に立ったままの弘に手招きしながら言った。
私と弘が腰を下ろすと、
「ちょっと来ておくれ」
その声で、いつものおばさんが部屋に入ってきた。
江崎さんは、おばさんに女の子たちを順に連れてくるよう指示した。
眼鏡をかけ、借用書の束を広げて並べ始める。
私は弘に目配せし、バッグから借用書を出すよう合図した。
そして現金の入った紙袋を弘に渡した。
ほどなくして、女の子が二人部屋に入ってきた。
見た感じ、二人とも二十代前半だった。
そのうちの一人が、弘を指差して声を上げる。
「あっ!弘さんじゃないですか!」
「えっ!?お前、藤乃屋さんで働いてたのか。なるほどな」
「こういうことなんだ、弘君」
二人は納得したように顔を見合わせ、クスッと笑った。
江崎さんと私は、思わず顔を見合わせた。
「なんだ、あんた達知り合いなのか。世の中狭いもんだね」
江崎さんはそう言って笑った。
その一件で、弘の顔から緊張の色が消えていた。
江崎さんが並べた借用書の中から名前を確認し、一枚ずつ取り出して本人に渡す。
弘がその金額をこちらの借用書に書かせ、署名と押印をもらう。
記入し終えた借用書を私に見せて確認し、その後、江崎さんへ現金を手渡す。
その繰り返しがしばらく続き、十二人分すべて終わったのは、一時間ほど後だった。
私の紙袋は空になり、江崎さんの前には、十万円ごとに束ねられた札束が乱雑に積まれていた。
私はその光景を前にして、以前と違う感覚になっている自分がいた。

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