88話「最初の客」

三度目のブザーの音を聞く。

「すいませーん」と声をかけると、返事はないが人が歩いてくる足音が聞こえる。

廊下の奥から江崎さんが現れた。

「あぁ、あんただったのかい」

と言い、口元に笑みを浮かべた。

「ご無沙汰してます」

私は軽く頭を下げた。

「まぁ、上がりな」

江崎さんはそう言って廊下を歩き出した。

「お邪魔します」

私は江崎さんの後に付いて行った。

前と同じ部屋に入ると、こたつ布団は片付けられてテーブルだけになっていた。

「今日はどうしたんだい?」

江崎さんは座椅子に座り、煙草に火をつけながら言った。

「はい。新しく金融業を始めたもので、挨拶にお邪魔させてもらいました」

私は「LINK CORPORATION 村上直人」と印刷された名刺を差し出しながら言った。

「そうかい。金貸し始めたんだね」

江崎さんは眼鏡をかけて名刺を手に取り、

「リンク……の、村上さんだね」

と確認するように呟いた。

その時、襖が開きこの前のおばさんがお茶を運んできた。

「お久しぶりです。お邪魔してます」

私が挨拶すると、おばさんはニコッと微笑んだ。

江崎さんは煙草を消し、おばさんに言った。

「あの子たちの証文持ってきておくれ」

おばさんは声を出さずに頷くと、すぐに部屋から出て行った。

「それで金貸しのほうはどうなんだい?うまくいっているのかい?」

私は、始めたばかりで顧客はいないこと。挨拶に来たのも江崎さんが最初だということを、嘘をつかずに話した。

「うちが、あんたの一件目の客か」

そう言って江崎さんは笑った。

さっきのおばさんが、束になった書類を持って部屋に入ってきて、書類をテーブルの上に置いた。

江崎さんはそろばんを取り出して座椅子に座り直し、書類を広げて一枚一枚確認しながら、そろばんを弾き出した。

しばらくすると、そろばんを持ったまま眼鏡越しの上目遣いで私を見て、

「六百五十万、用意しておくれ。保証人は私でいいかい?」

と言いながら書類を私に向け見せた。

私は書類を確認すると、女性十二名分の借用書で、保証人欄はすべて「江崎澄子」と書いてあった。

「はい。ありがとうございます。すぐに用意して連絡いれます」

と頭を下げた。

「他にも店があるから、そっちもあんたにお願いしようかね。あんた、私が言ったこと覚えてたんだね」

と江崎さんは笑いながら言った。

帰りに手土産に買った大判焼きを渡すと、江崎さんは普通のお婆さんの顔になり、餡子には目がないと言って喜んだ。

袋から大判焼きを一つ取り出し紙に包み、

「帰りに食べな」

と言って手渡された。

私は江崎さんの店を出ると、大判焼きを一口かじった。

今まで食べた大判焼きのなかで、一番美味しく感じた。

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