262話「はじめの一歩」

真希が席へ座ると、早苗は改めて私たちを見回した。

「それじゃ、紹介するね」

そう言って真希の肩へ軽く手を添える。

「この子は西園真希ちゃん。前は綾さんと同じ店でスタッフをやってたの。仕事も真面目だし、女の子たちからの評判もすごく良かったんだよ」

綾さんも笑顔で頷く。

「真希ちゃんは本当に気が利く子なんです。私も一緒に働いていた頃は、何度も助けてもらいました」

真希は照れくさそうに笑い、小さく首を振った。

「そんな……。綾さんのほうが、いつも私を助けてくれてました」

その控えめな受け答えに、私は自然と頬が緩む。

「真希ちゃんは、どうして茉莉花で働こうと思ったの?」

私が尋ねると、真希は一度姿勢を正し、真っすぐ私を見つめた。

「綾さんから早苗さんのことを聞いていました。女の子を大切にしているお店だって。それで私も、そんな環境で働いてみたいと思ったんです」

その言葉を聞いた早苗は、少し照れくさそうに笑う。

「そんなふうに言われると恥ずかしいな」

店内には和やかな空気が流れ、真希の緊張も少しずつほぐれていくのが分かった。

私はカップをテーブルへ戻し、真希へ穏やかな口調で話しかけた。

「綾さんと同じ店で働いてたなら、ある程度の仕事は分かってるんだよね?」

真希は少し緊張した様子で頷く。

「はい。電話対応や女の子の送迎、スケジュール管理、それから事務所の掃除などはやっていました」

「なるほど」

私は真希へ向き直る。

「焦らなくていい。一つずつ覚えていけば十分だから」

その言葉に、真希はほっとしたような表情を浮かべた。

「ありがとうございます。頑張ります」

隣で話を聞いていた弘が笑顔で口を開く。

「真希ちゃん、携帯につけてるそのストラップって、あのアニメの主人公のだよね?」

弘はテーブルの上に置いてある真希の携帯を指差して言った。

「あっ、はい! あのアニメ好きなんですか?」

真希は顔を上げ、目を大きくして微笑む。

「うん。最近あのアニメ人気急上昇だからね」

弘は少し笑いながら答えた。

「そうなんですよ! 私、漫画のときから好きで、最近アニメ化されたから嬉しくて」

真希は目を輝かせた。

その様子を見た綾さんが安心したように言う。

「良かったね。弘さんとの共通の話題ができて、少し緊張が取れたね」

「はい。皆さん優しいですし、このアニメの話ができると思わなかったです」

真希は携帯を手に取り、笑顔で言った。

早苗はそんな真希を微笑ましく見ながら、テーブルの上へ手帳を広げる。

「それじゃ、少し仕事の説明するね」

真希は真剣な表情で頷き、一つひとつメモを取り始めた。

分からないことがあるたびに質問をし、そのたびに早苗や綾さんが丁寧に答える。

その姿を見ていると、仕事に対する真面目さが自然と伝わってきた。

一通り説明を終えると、真希は深く頭を下げた。

「まだ分からないことばかりですが、一日でも早く仕事を覚えられるよう頑張ります。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね」

早苗が笑顔で答える。

綾さんも優しく微笑み、弘は「頑張ってね」と声を掛けた。

私は真希を見つめ、小さく頷く。

「無理をしなくていい。分からないことは早苗や里奈ちゃん、綾さんに何でも聞けばいいから」

「はい」

真希は力強く返事をした。

その表情には、初めて会ったときの緊張はもうなかった。

店を出ると、春の日差しが駐車場を明るく照らしている。

早苗たちと別れ、私は弘と車へ乗り込んだ。

「兄貴」

エンジンを掛けながら弘が笑う。

「真希ちゃん、いい子でしたね」

「ああ」

私は窓の外へ目を向ける。

「きっと茉莉花の力になってくれる」

弘は大きく頷いた。

私たちが向かう先は、藤本の店『エンジェルタッチ』。

新しい仲間を迎えたその日。

茉莉花に新しい風が吹き始める一方で、私たちは次の仕事へと向かっていた。

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