207話「それぞれの理由」

「どうして急に気になったノ?」

リトに聞かれ、私は肩をすくめた。

「せっかく知り合ったのにさ。何も知らないのも変だろ」

リトは一瞬きょとんとしたあと、クスッと笑った。

「確かにそうだネ」

そしてグラスを置く。

「じゃあ少し話するヨ」

私は思わず身を乗り出した。

するとリトは最初に意外な事を言った。

「まずネ。フィリピン人が日本に来るのは簡単じゃないヨ」

「そうなのか?」

私は首を傾げる。

正直、そこまで難しいものだとは思っていなかった。

リトは頷いた。

「日本はすごく厳しいネ。いろんな条件をクリアしないといけないヨ」

「へぇ」

美緒も興味深そうに聞いている。

隣のテーブルにいるメイたちも、こちらの話が聞こえたのか笑顔で耳を傾けていた。

「まずフィリピン側のプロモーターと日本側のプロモーターがいるネ」

「プロモーター?」

「簡単に言うと、日本で働くための手続きを進める人たちヨ」

私は小さく頷いた。

「それで、すぐ日本に来られる訳じゃないネ」

リトは続ける。

「最初にARBへ行くヨ」

「ARB?」

「学校みたいな所ネ」

「学校?」

「うん。日本語とか日本の文化とか勉強するヨ」

私は思わず感心した。

そんな事までしているとは知らなかった。

「全然知らなかったな」

「私も」

美緒も驚いたように目を丸くしていた。

美緒も同じだったらしい。

リトは笑った。

「みんな意外と知らないネ」

そして続ける。

「その課程を終わらせて証明書をもらうヨ」

「それで終わり?」

「まだまだネ」

リトは肩をすくめた。

「次はテストするヨ」

「テスト?」

「シンガーに向いてるか。ダンサーに向いてるか」

私は思わず聞き返した。

「そんなのまであるのか?」

「あるヨ」

リトは当然のように言う。

「歌が得意ならシンガー。ダンスが得意ならダンサーネ」

「へぇ……」

私は感心しながらマンゴージュースを飲んだ。

思っていたよりずっと本格的だった。

「テストに受かったらレッスンもあるヨ」

「レッスン?」

「シンガーなら歌。ダンサーならダンスネ」

「大変だな」

「そうネ」

リトは苦笑した。

「それに日本へ提出する書類もいっぱいあるヨ」

「書類もか」

「うん。結構大変ネ」

私は思わず唸った。

話を聞けば聞くほど簡単な話ではない。

店で楽しそうに働いている彼女たちにも、そこへ来るまでの努力があったのだ。

その時。

「本当に大変だったヨ」

後ろから声がした。

振り返ると、メイが笑っていた。

「日本来る前、いっぱい勉強したネ」

その言葉に、私は思わずメイを見る。

今まで聞いた事もなかった話だった。

「メイもそんな勉強したのか?」

私が聞くと、メイは笑顔で頷く。

「したヨ」

そう言いながら席を立ち、私たちのテーブルへやって来る。

他のタレントたちも興味を持ったのか、そのまま付いてきた。

気付けばテーブルはさらに賑やかになっていた。

「日本語も勉強したネ」

メイが言う。

「最初は全然分からなかったヨ」

「そうなのか?」

私は少し意外だった。

今では普通に会話しているからだ。

「ひらがなとかカタカナとか覚えるの大変だったネ」

「私も外国語は苦手だから分かるかも」

美緒が苦笑する。

メイは大きく頷いた。

「日本語は難しいヨ」

その言葉にみんなが笑った。

「それでね」

リトが話を戻す。

「レッスンとか試験とか全部終わったら、日本のプロモーターのオーディションがあるヨ」

「オーディションか」

私は思わず呟いた。

なんだか芸能界みたいな話だ。

「そこで選ばれた子が日本へ来られるネ」

「全員じゃないのか?」

「違うヨ。選ばれるまで、何回もオーディション受けないとダメネ」

リトは首を振った。

「人数も決まってるしネ」

私は思わず息をついた。

思っていたより遥かに狭き門だった。

「じゃあみんな、そのオーディション受けてきたんだな」

私が言うと。

メイたちは顔を見合わせた。

そして。

「そうだヨ」

「緊張したネ」

「私は前の日眠れなかったヨ」

口々に話し始める。

その様子はどこにでもいる普通の女の子たちだった。

だけど。

そこまで来るために積み重ねてきたものは決して小さくない。

私は少し考えた。

今までタレントという言葉だけで見ていた。

だけど実際には違った。

勉強をして。

試験を受けて。

レッスンを重ねて。

オーディションを突破して。

ようやく日本へ来ているのだ。

「思ってたより大変なんだな」

私が正直な感想を口にすると。

リトが笑う。

「だから簡単には来れないヨ」

メイも頷いた。

「でも日本来たかったネ」

「そうなのか?」

「うん」

メイは迷いなく答えた。

「家族のためもあるし、自分の夢もあるヨ」

私は思わず黙る。

夢。

その言葉が少しだけ心に残った。

ただ日本へ来て働いているだけではない。

それぞれに理由があるのだろう。

そんな事を考えていると。

メイが急に笑った。

「でもネ」

「ん?」

「日本来て一番びっくりした事あるヨ」

「何だ?」

すると周りのタレントたちまで笑い始める。

どうやら全員に関係する話らしい。

私は首を傾げた。

「何だよ?」

メイは楽しそうに言った。

「それはネ――」

そして、メイは目を輝かせて言った。

「雪!初めて見た時ドキドキしたネ!すごくキレイだったヨ!」

他のタレントたちも大きく頷いていた。

メイは続ける。

「でも…冬は寒すぎるヨー!」

店内に笑い声が響いた。

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