185話「まだ足りない朝」

目を覚ますと、カーテンの隙間から朝の光が部屋へ入っていた。

隣を見る。

美緒がまだ眠っている。

長い髪が少し顔にかかっていた。

静かな部屋に、呼吸だけがゆっくりと落ちている。

そっと手を伸ばし、その髪を耳へかけた。

その瞬間、美緒が小さく目を開けた。

「……おはよ」

少し眠そうな声。

「おはよう」

美緒はまだ夢の中の続きみたいな顔で、ゆっくりこちらへ寄ってくる。

「もう朝?」

「ああ」

「もう少し寝たい」

そう言って、腕に抱きついてきた。

柔らかい重みがそのまま残る。

「昨日いっぱい甘えただろ」

「うん……でも、まだ足りない」

思わず息が抜ける。

美緒はそのまま顔を埋めた。

「最近忙しいもん」

「まぁな」

「今日も?」

「ああ」

少しだけ間が空く。

それから美緒は身体を起こした。

「じゃあ頑張らないと」

「ん?」

「届出近いし」

そう言いながら、自然に髪を整えてくる。

その指先がやけにやさしい。

そうだった。

もう時間はそこまで来ている。

キッチンでコーヒーを淹れ、朝の支度を整える。

美緒はマグカップを両手で包みながら、ぽつりと言った。

「なんか変な感じ」

「何が?」

「少し前まで、こんなの考えてなかった」

私は小さく息をついた。

たしかに、そうだった。

気付けば、いくつものことが重なって。

そのまま、ここまで来ていた。

支度を終え、玄関へ向かう。

「じゃあ行ってくる」

「うん」

美緒が一歩近づく。

「頑張って」

軽く抱きつき、頬にキスをする。

私は少し笑う。

「そっちもな」

「うん。いってらっしゃい」

名残惜しそうに、手が少しだけ離れない。

その手を軽く引き寄せて、おでこにキスをした。

美緒は小さく笑って手を振った。

部屋を出て、車へ向かう。

エンジンをかける前の一瞬、静けさが戻る。

そして、キーを回した。

まず向かうのは「時のかけら」。

高梨社長に会うためだ。

少し前まで続いていた準備の時間は、静かに終わろうとしていた。

届出の日は、もうすぐそこまで来ていた。

コメント