留置場での生活は、一言でいうと、自由とは全く真逆で、ルールと時間に縛られた生活だった。
朝7時に起床し、掃除をする。朝食をとり、短い運動の時間があり、その後は取調べ。昼食を挟んで、また取調べが続く。夕食のあとも、日によっては取調べがあり、最後は消灯。
一日の流れは、最初から最後まで決められていた。房にいるときは、何もしていなくても、常に監視の目が気になった。留置場には、当時25人ほどが勾留されていたと思う。そのうちの8割ほどは、暴力団関係者だった。
その中に、今でも印象に残っている人物がいる。暴力団の組員で、罪名は伏せておくが、有罪になれば何十年、もしくは無期懲役になるのではないか、そんな噂が立っていた。
なぜかその人物に気に入られ、よく話をするようになった。事件のことを語られることは一切なく、暴力団に入ったきっかけや、これまでの人生についての考え方、いわば人生論のような話を聞いた。
ある日、取調べから留置場に戻ると、その人物が、手錠をされることなく留置場の受付で何やら手続きをしていた。
私は驚いた。
勾留されている者は、留置場のドアから一歩でも外に出るときには、必ず手錠をかけられるはずだったからだ。
その人は私に気づくと、
軽く手を上げて言った。
「俺はもう帰るから。お前、頑張れよ」
そう言って、ニヤッと笑い、去っていった。
私は呆気にとられ、「お疲れ様でした」としか返せなかった。
なぜ釈放されたのか、疑問が膨らんだ。
後日、親しくしていた留置場の職員に、そのことを尋ねたことがある。
担当の職員は、小さな声で、短く話してくれた。詳しくは言えないが、要約すると、良い弁護士と金、そういう内容だった。
その言葉を聞いて、世の中の仕組みを、初めて突きつけられた気がした。
翌日も、朝7時に起床し、いつもと同じ流れで一日が始まった。
何かが分かったような気もしたが、自分にできることは、その決められた時間を過ごすことだけだった。

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