120話「咲かせる前に」

契約の手続きは、思っていたよりもあっさりと終わった。

数日後、私は不動産屋で鍵を受け取っていた。

まだ何も置かれていない室内は、やけに広く感じた。

静まり返った空間に、自分の足音だけが響く。

ここでやっていくのか。

そう思いながら、ゆっくりと部屋を見て回った。

しばらくすると、玄関のドアが開く音がした。

「お邪魔しまーす!」

里奈ちゃんの明るい声が、空間に広がる。

続いて早苗と里奈ちゃんが部屋に入ってきた。

「飲み物買って戻ってきたら、ちょうど里奈と一緒になって」

そう言いながら早苗は、コンビニの袋をカウンターに置いた。

「えーと。最初は電気、ガス、水道だね。

私が連絡するね!」

さっそく里奈ちゃんは携帯を取り出した。

早苗はメモ帳とペンを持って、何かを書き込んでいる。

私はカウンターにもたれ、早苗が買ってきた缶コーヒーを飲みながら、部屋を眺めていた。

月下美人と違い、茉莉花は一から自分で立ち上げる店だ。

届出制になることで、この世界は少しだけ形を変える。

真っ黒だったものが、グレーに近づく。

競合店も増えるだろう。

この変化がどう転ぶのかは分からない。

それでも私は、大きなチャンスだと思っていた。

茉莉花と花水木。

どちらも、咲かせるつもりでいた。

「ねぇ、ちょっと来て」

早苗の声で我にかえる。

早苗について二階に上がる。

一番広い部屋に入ると、早苗が言った。

「私もここに引っ越そうかと思うの。

茉莉花がオープンしたら、一日の大半は事務所にいることになるでしょ」

早苗はメモ帳を開き、続けた。

「今ざっと必要なものを書き出してみたの。

一から揃えるなら相当な金額になるから、私のマンションにあるもの使えば、かなり浮くんだよね」

「どうせマンションは寝に帰るだけになるだろうし、それならここに住むのが一石二鳥じゃない」

早苗はメモ帳を閉じ、私を見て言った。

「あなたは、ここじゃ嫌?」

「いや、早苗がいいなら俺はどこでもいいよ」

「よしっ!それじゃ決まり。

この広さなら、あなたと二人でも十分だしね。

ベッドはここで、ソファーはここに置いて……」

早苗は楽しそうに家具の配置を考えはじめた。

部屋の窓から駐車場を見下ろすと、里奈ちゃんがjeepから自分の荷物を事務所に運び込んでいた。

私と早苗が一階に下りると、玄関には里奈ちゃんの荷物が山積みに置いてあった。

「あっ、電気、ガス、水道、明日には使えるようになるからね」

荷物を運び込みながら、里奈ちゃんが言った。

「ねぇ、里奈。私たちもここに住むから。さっき二人で話して決めたの!」

「マジで!やったね。それじゃ早苗のマンションの引っ越しもしなきゃじゃん」

早苗と里奈ちゃんは笑った。

茉莉花と花水木。

どちらも、花を咲かせる前の蕾の段階まできている。

どう咲かせるかは、私次第だと思った。

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