55話「賽は投げられた」

夜景を見た翌日、私の気持ちはもう昨日見た街の灯りのようにゆらゆらと揺れてはいなかった。

どこか腹の奥に重いものが落ち着いたような、そんな静けさがあった。

恵美さんに電話すると自宅に来るように言われた。

恵美さんのマンションには付き合っていた頃、何度か行ったことがある。

ドアを開けると部屋の匂いが鼻に届き、昔の記憶が一瞬だけよみがえった。

だが懐かしさよりも先に、あの頃とは違う場所に立っている自分を感じた。

リビングのソファーに座ると

「コーヒーでいいのよね」

そう言って淹れ始めた。

湯の沸く音を聞きながら、これから話される内容をぼんやりと想像していた。

不安がなかったわけではない。

けれど、それ以上にもう後には引けないところまで来ている自分がいた。

コーヒーを私の前に置き、隣に座ると煙草に火をつけて

「決心がついたようね」

と言った。

恵美さんは仕事の詳しい内容、自分が手がけている仕事について話した。

私の仕事は女の子をホテルなどに派遣して接客する。今でいうデリヘルだ。

その管理全般を任されるという。

話を聞きながら、驚きよりも妙な現実感が先に来ていた。

どこかでこういう流れになることを予感していたのかもしれない。

気づけばコーヒーはほとんど口にしていなかった。

私は気になっていたことを聞いた。

なぜ先に探している人の情報を教えてくれたのか。

恵美さんは前を向いたまま

「あなたとは駆け引きしないって言ったでしょ。それに、あなたはお願いをきいてくれると思ってたから」

と言った。

何でも見透かされているような気がした。

試されていたのか、それとも信じられていたのかは分からない。

ただ、その言葉に否定する余地はなかった。

恵美さんは微笑み

「これから私とあなたはパートナーなんだから」

と言った。

窓の外に目を向けると昼の街が広がっていた。

昨日見た夜景とはまるで違う顔だった。

もう賽は投げられた。

後戻りはできないと思った。

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