271話「新しい日常」

翌朝、ゆっくりと目を覚ます。

隣へ目を向けると、美緒の姿はもうなかった。

静かな部屋に、コーヒー豆を挽くカリカリという音だけが心地よく響いている。

私はベッドを出てリビングへ向かった。

「あっ、起きたんだ。おはよう」

キッチンから美緒が笑顔をのぞかせる。

「おはよう」

そう返してソファーへ腰を下ろすと、テーブルの上に置いてあった携帯電話を手に取った。

画面を見ると、早苗からメールが届いている。

『弘君から頼まれていたホームページ完成したから見てほしいの。連絡まってるね』

私はすぐに、

『あとで茉莉花に行く』

と返信した。

送信を終えたところで、美緒が湯気の立つカップを持ってきた。

「はい、コーヒー」

「ああ、ありがとう」

カップを受け取り一口飲む。

挽きたての香りが口いっぱいに広がり、自然と肩の力が抜けた。

美緒は私の隣へ腰を下ろす。

「今日の予定は?」

「そうだな。とりあえず茉莉花に行かないといけないな」

「今日は弘さんは一緒じゃなくて大丈夫なの?」

私は少し考えてから答えた。

「そうだな。茉莉花へ行く前に弘と合流した方が効率がいいか」

すると美緒は優しく微笑んだ。

「それじゃ昨日みたいに、ここへ迎えに来てもらってから一緒に動いた方がいいんじゃない?」

「そうだな。でも花水木は大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。私も店へ行くし、何かあったら連絡するから」

そう言って微笑む美緒の表情には、不安はまったくなかった。

「分かった。それじゃ何かあったら連絡して」

私は携帯を手に取り、弘へメールを送る。

『昼過ぎに美緒のマンションまで迎えに来てくれ』

送信して間もなく返信が届いた。

『兄貴、おはようございます!迎えの件、了解です!!』

思わず笑みがこぼれる。

「どうしたの?」

不思議そうに美緒が聞く。

私は携帯の画面をそのまま美緒へ向けた。

美緒はメールを読むと、小さく笑った。

「弘さんは、直人さんと一緒に動けるのが嬉しいんだよ」

「そうか?」

「うん。だって弘さん、直人さんと一緒にいるとき、本当に楽しそうだもん」

私は昨日までの弘の姿を思い浮かべる。

何でも一生懸命に覚えようとして、失敗しても笑って前を向く。

そんな姿が自然と頭に浮かんだ。

美緒は続ける。

「私がしていた集金も弘さんが引き継いでくれたから、その分、私は花水木へ行けるようになったし、人手が足りないときは言うから、これからも弘さんと動いて大丈夫だよ」

そして私を見つめながら言った。

「弘さんも仕事を覚えられるし、直人さんも教えることあるでしょ」

私はゆっくり頷いた。

「美緒がそう言ってくれるなら、そうしようかな」

「うん。そうしてあげて」

その笑顔を見ていると、不思議と迷いが少し軽くなる気がした。

しばらくして携帯が震える。

『兄貴! 着きました!』

弘からだった。

「早いな」

私は苦笑いしながら立ち上がり、身支度を整える。

玄関まで来ると、美緒が優しく微笑んだ。

「行ってらっしゃい」

「行ってくる」

部屋を出てエレベーターで一階へ降りる。

エントランスを抜けると、弘が車の横に立ってこちらへ手を振っていた。

私に気付くなり、大きな声が響く。

「兄貴! おはようございます!」

私は思わず笑ってしまう。

「お前、朝から声がデカいぞ」

「すみません!」

そう言いながら笑う弘の顔を見ていると、こちらまで笑顔になる。

私は助手席へ乗り込み、ゆっくりとドアを閉めた。

弘の笑顔を見ていると、今日もきっと前へ進める。そんな気がしていた。

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