静かな朝を迎えた。あの「起床ー!」という号令で目覚めなくていいのかと思うだけで嬉しかった。
だが、あの爽やかなクラシックの音楽は、この朝の方がよほど似合っている気がした。
コーヒーの良い香りがする。
この当たり前の朝を迎えられるだけで、幸せを実感できた。
早苗が淹れてくれたコーヒーを飲むのも本当に久しぶりだ。
コーヒーを口にしながら、まず今日やるべきことを整理する。
井原君への面会。
保護司へ報告するための仕事場の連絡先の確保。
世話になった人たちへの連絡。
夜は陣さんたちへ手紙を書く。
夕方までには帰ると早苗に告げてマンションを出る。
まず向かったのは拘置所だった。
昨日の朝まで生活していた場所だが、一度外に出てしまうと景色がどこか違って見えた。
面会の手続きをしていると、見覚えのある刑務官が笑いながら言った。
「お前、昨日出たのにもう戻って来たのか。そんなにここが居心地良かったか?」
笑った顔など見たことがなかったので少し驚いた。塀の中と外では、見せる表情もこんなに違うのかと思った。
面会待合室には数人が座っていた。
暴力団関係者らしき人たちは普通に会話しているが、一般の面会者は病院で診察を待つ時のように静かで、うつむきがちだった。
番号を呼ばれて面会室に入る。
仕切り板の向こうのドアにある確認用の小さな窓が開き、すぐ閉じられ、やがてドアが開いて井原君が入ってきた。
席に着く前に、満面の笑みで言った。
「良かったですね!おめでとうございます」
昨日まで隣に座っていた井原君が、今日は仕切りの向こう側にいる。
時間も気にせず話していたのに、これからは限られた時間しかない。
薄い仕切りが、塀の内と外を分ける壁そのもののような境界線に感じられた。
寂しさと外に出られた実感が入り混じり、言葉にできない感情が胸に残った。
拘置所を後にしてマンションへ戻ると、早苗が荷物を片付けている途中だった。
「これ」
差し出された袋の中身は、懲役になると思って最後に買った嗜好品だった。
ベビーハム、板チョコ、マヨネーズ、醤油、甘露飴――。
拘置所では貴重品のように棚へ大事に並べていたものだ。
だが外で見るそれらは、一日しか経っていないのにどこか色褪せて見えた。
邪険に扱ってはいけない気がして、袋を閉じて戸棚へそっとしまう。
この袋の中には、拘置所で過ごした時間の想いが詰まっているように思えた。

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